1970(昭和45)3月31日、日本で初めて「ハイジャック」という言葉が使われた「よど号ハイジャック事件」が発生しました。いつの時代にもあるように、当時の若者も時の体制に反発して「革命」を掲げて学生運動などが盛んでした。 大きいのから小さいのまで多々あるグループのひとつにこの事件で有名になった「赤軍」がありました。筆頭格の塩見孝也議長の指示の元、田宮高麻呂を先頭に実行犯が「よど号」というニックネームがついていた東京発JALの飛行機を乗っ取り、これが日本初のハイジャック事件でした。 共産主義思想を受け入れてくれる手近な国は北朝鮮でしたのでそこへ行くよう指示。福岡で給油しながら時間稼ぎも徒労に終わりいよいよ北朝鮮へ向かいますが、密かに練った作戦どおり韓国の「金浦空港」へ到着し、北朝鮮だと犯人たちに言い連絡を受けていた韓国側も北朝鮮を装って犯人たちが機内から出る寸前わずかな韓国側のミスで気付かれてしまいました。 九州で半分くらい残りの乗客をここで開放し、変わりに人質として当時の運輸次官山村氏、この件で「男・山村新次郎」で一気に名を上げました。結局、山村氏を乗せて北朝鮮へ行き亡命成功。山村氏と飛行機はその後ほどなく帰ってきましたが犯人たちは何十年も朝鮮で暮らし結婚して子供も出来ましたが、理想と現実とは違うと思っても帰国すれば長い刑務所生活が待っているジレンマで晩年は苦しんだようです。 何人かは郷愁の念に勝てず逮捕覚悟で帰国して服役した者もいます。今では想像も出来ないが当時機内に日本刀など持ち込んで脅迫の武器にしたので、それ以来機内持ち込みが厳しくなった原因ともなりました。羽田での発生から福岡を飛び立つまでの一部始終をTVが生中継で何時間も映していた初めてのケースでもあったことを記憶しています。 さて今日は、年度末です。小・中学校では、午後から離任式も行われるとお聞きしています。先日来、県・市の定期異動も発表されておりましたが、退職される皆様は本日が最後となり、長年にわたる奉職お疲れ様でした。また、新天地へ移動される方々もどうか引き続きお元気に職務にご精励お願い申し上げます。 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!
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