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 浅間山荘事件は、1972(昭和47)年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件です。
 
 日本の新左翼組織・連合赤軍のメンバー5人が、浅間山荘の管理人の妻(当時31歳)を人質に立てこもりました。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行いましたが難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出しました。
 
 事件発生から10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕されました。人質は219時間監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録となっています。
 
 酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めました。2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)に達しました。
 
 同日のNHKの報道特別番組は、平均50.8%の視聴率を記録しました。これは事件から43年が経過した現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録となっています。
 
 さて今日は、市内の挨拶回りを予定しています。9時から12時30分までは、西田剛市議会議員と笠縫東学区へご挨拶に伺う予定です。昼食後の13時30分からは、瀬川裕海市議会議員と矢倉学区へご挨拶に伺うことになっています。夜は、事務所にて後援会の皆様へのご案内を作成する予定です。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1594(文禄3)年2月27日、豊臣秀吉が、豊臣秀次・徳川家康・前田利家らとともに、奈良の吉野にて花見の宴を開催しました。
 
 えっ!?と思いましたが、旧暦の2月27日ですから現在の暦で言えば、4月の半ば頃だとか・・・・吉野山の桜が、下千本→中千本→上千本の順に次々と咲き始め、まさに見頃の真っ只中といった感じだったとされています。
 
 この頃の豊臣秀吉と言えば、2年前の1592(文禄元)年に、一度目の朝鮮出兵を行い、その翌年・・・・つまり、この花見の前年には、男児=後の秀頼が生まれています。
 
 そして、この花見の翌年には、花見に同席している甥の関白・秀次を自刃に追い込む事になります。
 
 秀次さんのご命日に、その汚名を晴らしたい!というタイトルで、彼の謀反の罪がでっちあげであろうという事、「殺生関白」と呼ばれるもととなった悪行の数々も無かったであろう事、そして、秀吉から見て秀次が、将来、わが子・秀頼の最大のライバルになるであろう事を予測し、その存在が脅威となり、消されたのではないか?との歴史書を読んだ事を覚えています。
 
 さて今日は、一般質問最終日です。10時から開会され、我が会派からは生田議員、富田議員が登壇されます。
 
 ところで、一昨日の私の質問で取り上げた、近江県への県名変更についてのやり取りが話題となり、YAHOO!のトップニュースで取り上げられました。
 
 昨夜は、テレビ朝日系『グッド!モーニング』・『モーニングバード!』、フジテレビ系『とくダネ!』から電話取材を受けました。取り上げられるかは分かりませんが、本日の放送分だそうですので、お時間がありましたらご覧下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 気象観測を主目的として日本が打ち上げ運用している静止衛星は皆様も良くご存知の通り、「ひまわり」と呼ばれています。この衛星により撮影された画像は、毎日の天気予報でお茶の間でもおなじみとなっています。2014(平成26)年10月現在、ひまわり7号が本運用中であります。
 
 初号機の「ひまわり」から「ひまわり5号」までのGMSシリーズは地球大気観測計画の一環として計画され、1977(昭和52)年7月14日の「ひまわり」から1995(平成7)年3月18日の「ひまわり5号」まで5機が打ち上げられています。
 
 これらGMSシリーズはほぼ同じ外観でありますが、初号機の「ひまわり」のみ、衛星バスが異なり、外見上の大きな違いとして、USBオムニアンテナではなくVHFアンテナが使用されている点と、可視赤外走査放射計のシェードに白黒のストライプ模様が見られる点が上げられます。

 同型代替機としてMTSAT−1Rが2005(平成17)年2月26日に打ち上げられ、GMSシリーズから名称を引き継ぎ「ひまわり6号」として打ち上げられました。なお、「ひまわり6号」が運用開始されるまでは寿命を超過した「ひまわり5号」およびアメリカの気象衛星「GOES−9」を代替機として使用したそうです。
 
 さて今日は、10時から一般質問3日目が予定されており、本日は6名が登壇されます。我が会派からは、野田議員、川島議員、細江議員が予定されています。昨日の私の質問では、滋賀県を近江県とするなどしてはどうか!?との提案をさせていただいたところです。我が県の魅力発信について、確認をさせていただき今後の取り組みに期待したいところです。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1973(昭和48)年2月25日、桜田淳子さんが「天使も夢みる」でデビューしました。オリコン最高12位、同100位内に15週入り、12.1万枚の売り上げだったそうです。
 
 「スター誕生!」のデビューコーナーに登場した桜田淳子さんは、それは鮮烈だったことを覚えています。白いエンジェルハットをかぶり、一所懸命に笑顔を振りまいて歌う姿には、一度見たら決して忘れられない何かがあったように思いました。
 
 それまで「スター誕生!」で合格し歌手になった人達は、歌唱力が重要なポイントであったと思うのですが、桜田淳子さんがデビューしてからは、歌唱力よりもアイドル的なタレント性が重視されていったような気がします。
 
 ただそのあまりに強い個性のためか、桜田淳子さんは大きな人気を得たのと同時に好きな人は徹底的に好き、嫌いな人は徹底的に嫌いと言ったような両極端を作ってしまったそうです。
 
 でも「嫌いは好きの始まり」とはよく言ったもので、「嫌い」なのは関心があるからこその感情だそうで、急に「好き」に転じた人も結構いたそうです。私は、今思えばデビュー当時からお気に入りでした。
 
 さて今日は、10時から一般質問2日目が予定されています。私は、本日のトップを努めさせていただきます。質問項目は“地方創生ならびに本県の魅力発信について”です。知事及び関係の部長に滋賀の呼称や観光について質したいと思います。
 
 我が会派からは、大野議員、佐藤議員が予定をされています。
夕方の17時30分からは、神道政治連盟の皆様との意見交換会が予定されていますので出席をすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大喪の礼は、国の儀式として行われる天皇の葬儀とされ、「喪」は「うしなう」という原義から人の死、さらにその追悼と葬儀を意味する字であり「大喪」で「君主の死とその服喪と葬儀」を意味しています。
 
 日本では「大喪」だけで「天皇の崩御と斂葬」を指しているそうです。明治天皇・大正天皇の葬儀は「大喪儀」として行われました。
 
 現日本国憲法下において「天皇の葬儀」は、皇室典範第25条の規定に基づき国の儀式として執り行われる「大喪の礼」と、皇室の儀式として執り行われる「大喪儀」とに区別されています。
 
 1989(昭和64)年1月7日に崩御した昭和天皇の大喪の礼は、同年(平成元年)2月24日に、内閣の主催(竹下登内閣総理大臣)により行われ、当日は、国民の休日となりテレビをとおして厳かな様子を拝見したことを覚えています。
 
 「大喪の礼」は、当日午前9時35分に、昭和天皇の霊柩を乗せた霊柩車を中心として組まれた葬列が、宮内庁楽部による雅楽「宗明楽」と陸上自衛隊による弔砲に送られて、雨の降る皇居正門を出発することに始まりました。
 
 葬列は、桜田門を通り、沿道に集まった20万人の人々の間を進み、国会議事堂正門前等を経て、新宿御苑の葬場総門まで到着しました(この途中、青山通りで若い過激派の男2人が「天皇制反対」を唱えて車列の中に突入しましたが、すぐに警備員に取り押さえられました)。到着後、昭和天皇の葬儀が世界各国からの弔問の皆様をまじえて粛々と執り行われました。
 
 さて今日は、9時30分から議会運営委員会が開催されることになっているため、9時から事前の打ち合わせを予定しています。委員会終了後の10時から一般質問が行なわれることになっています。本日は7名、我が会派からは、竹村議員が7番目に予定されています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1981(昭和56)年2月23日〜26日の4日間、教皇ヨハネ・パウロ二世が教皇としてはじめて日本を訪問されました。
 
 東京、広島、長崎を訪問した教皇の言葉は、カトリック教会はもちろんのこと、日本の多くの人たちに大きな感銘を与えました。
 
 特に、全世界に向けて発せられた広島での「平和メッセージ」は、平和の巡礼者としてのその使命を表すことなり、今でも人々の記憶に残されています。
 
 そこで、広島平和アピールを紹介させていただきます。
〜戦争は人間のしわざです 戦争は人間の生命の破壊です 過去を振り返ることは 将来に対する責任を担うことです ヒロシマを考えることは 核戦争を拒否することです ヒロシマを考えることは 平和に対して責任をとることです〜  以上です。
 
 さて今日は、事務所で一般質問原稿作成のため奮闘を予定しています。また、お昼の休みの時間を利用して、市内の企業を訪問することになっています。
 
 予定終了後、明日からの一般質問に備えたいと思いますが、今回は、“地方創生ならびに本県の魅力発信について”と題しての質問を考えています。私の質問は、明後日の10時からですので、ネットやびわ湖放送での22時からのダイジェスト放送で是非ともご覧下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1999(平成11)年2月22日は、NTTドコモがiモードサービスを開始した日です。サービス開始当初は、ニュースや天気などを中心としたiメニューサイトが67あり、対応端末は『F501i』の1機種のみでした。

 その後、mova 503iシリーズからJava機能が搭載され、さらに505iシリーズからFlashに対応するなどより表現が豊かなゲームも楽しめるようになりました。

 今ではよく知られている『デコメール』や『iチャネル』、『着うた』、『おサイフケータイ』といったコンテンツは、iモードから生まれたサービスとされています。

 携帯電話を初めて持ったのは42歳の時でした。以来ずっとドコモユーザーなわけですが、当時は少しでもパケット代を抑えるためにほとんどiモードは使用せずメールばかりやっていた記憶があります(カタカナも半角で送信するなど)。

 強いて言えば『着メロ』サイトに登録していたぐらいでしょうか・・・・というか、機能を使いこなすことが困難だったと言えるかも知れません。ちなみに、今でもですが・・・・!!!!

 さて今日は、9時からは、草津市志那吉田町の定期総会が開催されますので、出席をさせていただきお祝いの言葉をお伝えさせていただきたいと思います。

 10時からは、大津プリンスホテル於いて自由民主党滋賀県連の政経パーティーが開催されますので出席をすることになっています。本日は、石破大臣が応援に駆けつけて下さいます。更に、19時からは後援会の役員会も開催させていただくことになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1988(昭和63)年2月21日、東京都世田谷区鎌田の区立砧南中学校に、ストッキングで覆面をし、軍手をはめた男達が校門を乗り越えて侵入し、宿直室にいた警備員(当時38歳)を粘着テープとビニールひもで椅子に縛り付けた上、トイレに監禁しました。

 3時間後、人の気配がなくなったところで警備員は自力で脱出し、警察に通報しました。警備員が校舎外に出てみたところ、校庭中央に大量の机と椅子が置かれていました。
 
 初めはそれが何か分かりませんでしたが、屋上から見ると校庭に「9」の形状に机が整然と並べられ、更にその右下脇には椅子9個が丁度「.(ピリオド)」のような円形に並べられていました。
 
 犯行に用いられた机447個と椅子9個は、宿直室がある校舎とは別棟の3階建ての南校舎から運び出されたもので、犯人は作業を大人数で行ったのは間違いありませんでしたが、目的も動機も全く見当のつかない犯行とされていました。
 
 後日犯人は捕まりましたが、動機は「世間を騒がせたい」「久しぶりに沢山の仲間とワイワイやるのが楽しかった」というもので、単なるいたずら・愉快犯でした。
 
 さて今日は、11時からは、クサツエストピアホテルに於いて草津市の田中千秋さんの総務大臣表彰を祝う会が開催されますので出席をさせていただきお祝いの言葉をお伝えしたいと思います。
 
 午後からは、お見舞いに伺う予定をしています。17時30分からは、下笠会館に於いて中島一廣草津市議会議員との報告会をさせていただくことになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 東大ポポロ事件とは、東京大学の公認学生団体「ポポロ劇団」が演劇発表会を行なった際に、学生が会場にいた私服警官に暴行を加えた事件であり、日本において大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件とされ、日本国憲法第23条に保障する学問の自由及びそこに含まれる大学の自治が問題となりました。

 ポポロ劇団は、1952(昭和27)年2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』の上演を行ないました。これは大学の許可を得たものであったそうです。

 上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせました。その際に学生らが暴行を加えたとして、2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴されました。このうち一人はのちに秋田県横手市で市長を務めた千田謙蔵氏です。

 一審は、被告人学生の行為が大学の自治を守るためのものであるゆえに正当であるとし、学生を無罪としました。二審も一審を支持したため、検察が上告。最高裁判所大法廷は、1963(昭和38)年5月22日、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻しました。差し戻し後、被告人は、第一審で懲役6か月と4か月、執行猶予2年の有罪とされ、控訴・上告も棄却されました。

 さて今日は、一般質問の通告締め切りが12時となっていますので、私も提出に参ります。今期定例会議では、大きく1問を取り上げ、大所高所からの観点で質問を展開してみました。後日テーマなどお伝えしたいと思います。また、12時30分からは、一般質問順序を決めるくじ引きが、私が立会いのうえ行なわれることになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 女の子のすこやかな成長を祈る年中行事3月3日「雛祭り」が近づいています。そのひな人形を飾りつける日は何時が良いかということについて、日本記念日協会では、2月19日を「ひな人形飾りつけの日」とされています。
 
 この日にひな人形を飾りつけると何故良いといわれているのか、どこが何時頃設定したのかなどは判りませんが、おそらく、どこかの雛人形店かその協会あたりが設定したものと推測されています。
 
 ひな人形を飾りつける日に、特別な決まりがあるわけではなく、節分以降いつでも良いと思いますが、どうも“雨水”(うすい。2月19日頃)が良いといわれているようです。
 
 二十四節気の1つである雨水は 、立春と啓蟄の中間にあり、太陽黄経が330度の時で、暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されています。
 
 この時節から寒さも峠を越え、昔から農耕の準備を始める目安とされてきたことから、春への変わり目として、縁起のよい日とされているので、ひな人形の飾りつけもこの日が良いと言うことになったのではないかとされています。
 
 さて今日は、9時30分から議会運営委員会が開会されますので出席をすることになっています。10時からは、各会派代表による代表質問が予定されています。我が会派からは、小寺政調会長が登壇されます。
 
 本日は、代表質問終了後の18時から大津プリンスホテルに於いて、全議員と三日月知事はじめ執行部の皆さんとの意見交換会が予定されていますので出席をします。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2007(平成19)年2月18日、朝から都心の道路が封鎖され首都東京の威信をかけた、「第1回東京マラソン」が始まりました。
 
 「東京マラソン」のテーマは3つ!参加者は3万人、制限時間は7時間、コースは東京の観光名所を回るものにする。
 
 東京都庁からスタートして、皇居前、東京タワー、品川、そして浅草雷門、銀座を通って臨海副都心、有明の東京ビッグサイトがゴールとなる42.195キロ。
 
 第1回東京マラソンがスタートした。この日の参加者、30,870人。その集団はお昼過ぎに、銀座へと達しました。この日の気温は5度。あまりの寒さに、トイレ問題や、栄養補給問題などがありましたが、そんな時、沿道では思いも寄らぬ事が起きたそうです。

 沿道の観衆が、道行くランナーに、飴やチョコレートなどを
差し出すなど、178万人もの観衆が途切れることなく沿道を埋め尽くし、最後のランナーが通過するまで、熱い声援を送り続け、そして、制限時間の7時間が経過した午後、4時10分、25,102人目のランナーがゴールしたそうです。
 
 回を重ねるごとに参加人数も順調に集まり、今年も来週の22日の日曜日に第9回の東京マラソンが予定されています。
 
 さて今日は、9時から定期健診のため病院へ行くことになっています。大事な一戦の前でもありますので、しっかりと診ていただいてきます。
 
 午後からは、事務所にて広報関係の打ち合わせをお願いしています。今回から解禁されたインターネット対策も取り組みたいと思います。皆さんはどうされているのでしょうか・・・・!?!?
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 旧約聖書で「ノアの洪水」が起きたのがノアが600歳の時の2月17日となっています。40日間雨が降り続いてすべてが水没し、1年後の2月27日に地が乾いたとされています。

 旧約聖書の「創世記」に書かれた“ノアの洪水”ですが、ノアが600歳のくだりは、ちょっとムリがある気がしてならないところです。聖書の年代をそのまま計算すると、紀元前3000年頃の出来事になるそうです。

 地上に悪人がはびこる事を「ヨシ」としない神様が、大洪水を起こして人類を滅ぼそうとしますが、神に従順だったノアにだけこの事を教え、方舟(はこぶね)の建造を命じます。ノアは、高さ13.5m、幅22.5m、長さ135m、約2万tクラスの大きな方舟に、ノアの家族8人と、あらゆる動物のつがいを乗せて、その日を待ちました。

 そして訪れた2月17日、この日から雨は40日間降り続き、150日間水の勢いは止まらず、方舟は嵐の中、木の葉のように揺れ動き、やがてアララト山の上にひっかかって停まります。使いに出した鳩によって水が退いた事を知ったノアは、家族や動物たちとともに船を出て、神様に感謝したそうです。

 神様はノアを祝福し、今後、人類を滅ぼすような洪水を起こさない事を約束しました。このアララト山は、現在のトルコにあるアララト山だと言われていて、昔から「方舟の痕跡を見た」という人が数多くいるそうです。

 さて今日は、9時30分から議会運営委員会が開会されますので出席をします。10時からは全員協議会が開催され、提出議案の説明があります。その後、本会議が召集され、2月定例会議が開会されます。会期は来月16日までの28日間を予定しています。この間、代表質問・一般質問に加え、予算特別委員会も開会されることになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1976(昭和51)年、全日空のエアバス導入をめぐり、ロッキード社から政財界へ巨額の資金が渡ったことが、米上院で明らかになりました。同2月16日、衆院の予算委員会で証人喚問が行われましたが、鍵を握る児玉誉士夫氏は欠席、小佐野賢治氏らは「記憶にございません」とはぐらかしました。

 その後、田中角栄元首相らが逮捕され、戦後最大の疑獄事件となりました。この時の「記憶にございません」は、元首相・田中角栄氏の盟友としても知られていた政商・小佐野賢治が発した言葉で、当時の日本で大ブームとなりました。

 小佐野賢治は、日本人のハワイブームが来る前から現地の人気に目をつけ、ホテルを買収するなど数々の観光事業を成功させた人物とのこと。敗戦後の日本には、各地に外国人が駐留することになりましたが、この外国人を相手にするサービスを展開したことで成功しました。戦後にかなりの財産を築いた人物です。

 この事件は国会どころか日本を混乱に陥れ、野党は連日の様に問題を追求しました。もちろん日本のマスコミも大きく報じ、当時の首相であった三木首相も全容解明に乗り出すなど、大変な騒ぎとなりました。後に、田中氏は他に5億円の賄賂も受け取っていたことが明らかになります。

 その後、田中氏は裁判を受けることになりましたが、その最中に亡くなったことからロッキード事件は収束を迎えることになりました。こののち、この事件の影響を受けて自民党の信頼は失墜、選挙で大敗を期すことにもつながりました。「記憶にございません」は政治家の使う言葉と誤解されているようですが実業家の方が使った言葉だったんですね・・・・!!!!

 さて今日は、会派の政調会が召集され、代表質問の原稿が確認されることになっています。私は、今回“(仮称)生物多様性しが戦略について”を担当させて頂きました。今日からは、私の一般質問について取り組みたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1950(昭和25)年2月15日は、野比のび助(のび太のパパ)と片岡玉子(のび太のママ)が出会った日なんだそうです。この日がなければ、のび太も産まれず、ドラえもんと出会うことも無かったとされています。

 そもそも、きっかけとなったのは野比のび助が道端を偶然歩いていた片岡玉子と衝突、不注意を謝った後にすぐ別れたものの、玉子が落としていった定期券をのび助が拾って追いかけていったことが最初の出会いだったそうです。

 ちなみに、のび太はお母さん似で、父・のび助よりは母・玉子に非常に似ているとされています。眼鏡を取った時の目の з з の形も同じです!

 しかし、父・のび助の少年時代の顔はのび太に瓜二つで、野比家代々の先祖の少年時代の顔はそろってのび太にそっくりなんだそうです。

 いずれにしても、未来の世界からやって来たネコ型ロボットのドラえもんと、小学4年生の野比のび太君との出会いから始まった人気アニメですが、毎回ドラえもんの不思議なポケットから出される未来の便利なアイテムが楽しみでもあります。私は、一番欲しいのは『どこでもドア』です。いつでも好きな時間に何処へでも行けるなんて想像しただけでもワクワクします・・・・!!!!

 さて今日は、『どこでもドア』のない私は、ひたすら地道に皆様のところへ一軒一軒丁寧に、移動には十分注意をしてご挨拶に伺いたいと思います。一昨日の立候補予定者説明会では、定数44人のところ64陣営の皆さんが出席されたとも聞き及んでいます。限られた時間ですのでしっかりと取り組んで参ります。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2005(平成17)年2月14日、平成の合併の一つとして滋賀県米原市が市制施行されました。米原市は滋賀県東北部地域の中心に位置し、日本百名山のひとつである伊吹山とその南には霊仙山がそびえ、総面積の63%を占める森林にたくわえられた水は、清流姉川や天野川となって地域を流れ、母なる琵琶湖に注ぐという、水と緑に包まれた自然豊かな地域とされています。
 
 「米原」の読み方には「まいはら」と「まいばら」の2通りがありますが、市名の制定にあたっては、旧米原町の「まいはら」ではなく、知名度の高い米原駅に合わせて「まいばら」が採用されました(旧米原町の中心部である米原地区の読み方は「まいはら」のまま)。
 北陸自動車道の米原ICの読み方は開通当初「まいばら」で、2001年6月4日に町名に合わせて「まいはら」に変更されましたが、米原市が発足したことで再び自治体名とインターチェンジ名が食い違うこととなりました。

 交通都市として知られ、古くから中山道と北陸道の分岐点として発達しました。市の中心部である米原が北国街道の米原宿に当たるほか、市域南部を東西に通過する中山道には「番場の忠太郎」で有名な番場宿、醒井宿、柏原宿の3ヶ所の宿場町が置かれていました。

 現在でも、国道8号と国道21号が分岐しているほか、米原JCTで名神高速道路と北陸自動車道が、米原駅で東海道本線と北陸本線がそれぞれ分岐し、滋賀県内で唯一、東海道新幹線の駅が設置されています。なお、米原駅は東京駅から約450kmの位置(JRにおける営業キロは445.9km)にありますが、これは、岩手県の一ノ関駅から東京駅(JRにおける営業キロは445.1km)とほぼ同じ距離にあたるそうです。

 さて今日は、日中は地元の皆様へのご挨拶回りに努めたいと思います。19時からは追分会館に於きまして、地元の竹村勇草津市議会議員と私、そして武村衆議院議員との市政・県政・国政報告会が予定されていますので、しっかりと県政の情勢について報告させていただきたいと思います。皆様も、寒い時期ではありますが、多数お越し下さいますようご案内申し上げます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 確定拠出年金教育協会が2013(平成25)年に、翌2014(平成26)年から開始された少額投資非課税制度(NISA)のPRのために制定しました。「ニーサ(2=に)(1=い)(3=さ)」の語呂合せとしています。このNISAとは、個人が毎年100万円を上限とする新規購入分を対象に、配当や譲渡益を最長5年間、非課税にする制度です。

 日本は今、資産形成を行う時代へと進んでいます。これは世界的な流れになっています。日本でも個人が資産形成を行いやすいように税優遇が付いた重要な制度がいくつか誕生しています。

 その一つが2001(平成13)年にスタートした確定拠出年金制度です。年金という名前の通り自分の老後を支える資産を作るための制度です。そしてもう一つが2014(平成26)年スタートの少額投資非課税制度、NISA(ニーサ)です。この制度は特に若い世代に積極的に活用してもらうことが期待されています。これまでの軽減税率が廃止され、税率が20.315%に増税されるので、それに伴った救済制度といった側面もあります。

 同協会では、自助自立型のこの2つの制度が広く支持され活用されていくことを目的に、記念日を制定しました。「確定拠出年金の日」、「NISA(ニーサ)の日」にちなんだ企画や活動を通じて、この制度を推進していきたいとしています。

 皆様も、資産を作るためのこうした取り組みをご参考になさってみては如何でしょうか!?

 ところで、昨日のこと草津市役所の廊下でお出会いした女性職員の方から、毎日の私の日記のことで、今日は何の日を楽しみにしているので、「明日も頑張って下さい」と激励のお言葉をいただきました。とても嬉しい瞬間でした。これからも頑張って取り組みたいと思います。

 さて今日は、10時30分から草津市の常盤駐在所竣工式典が開催されますので出席をさせていただきます。引き続き常盤学区の皆様にご挨拶をしたいと考えています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 慶長八年(1603)年2月12日、徳川家康が京都・伏見城にて将軍宣下を受け、初代・江戸幕府将軍となりました。天下分け目の関ヶ原から3年・・・・
 
 あの関ヶ原の合戦が「天下分け目」と、一般的に称されるところから、あまり歴史に興味のない方から見れば、あの関ヶ原が、豊臣VS徳川の戦いで、それに勝利した家康が、当然のごとく征夷大将軍となり、江戸幕府を開いて天下人となったような印象があります。

 ほとんどのドラマで、そのように描かれるので致し方ないところではありますが、実際には、関ヶ原から将軍宣下まで、そして、幕府を開いて徳川の世を確立するまでには、そこかしこに散らばったチャンスを見逃さず、様々な策略&戦略を張りめぐらし、見事に自分の有利な方向へと導いた家康のスゴ腕があったとされています。

 そもそもは、豊臣秀吉の朝鮮出兵・・・・1598(慶長三)年の8月、秀吉の死とともに終わりを告げたこの朝鮮出兵で、実際に大陸へと渡海しなかった家康は、その力を温存する事ができ、さらに、豊臣家内の分裂というオマケまでついたとされています。

 その海外遠征後のドタバタは、翌年3月の前田利家の死で爆発・・・・この時の石田三成襲撃事件では、石田三成を保護しながらも謹慎処分にする事で、豊臣内の亀裂をうまく残したまま、自分が、武将の長として采配を振るえる立場にある事を、さりげなく主張しています。
 
 いずれにしても、乱世を勝ち抜いた徳川家康は、徳川250年余りの江戸時代を築いた第1人者であることはいうまでもありません。

 さて今日は、統一地方選の告示まで50日と迫る中、午前中に草津市議会議員団の皆さんとの打ち合わせをお願いしています。17時からは、同志の皆様との懇談を予定しています。これからは、地元の皆様とのこうした意見交換会を一層増やして行きたいと考えています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 皆さん知っていますでしょうか?今日2月11日は「干支供養の日」とされています。干支置物等を製作している陶磁器メーカー・中外陶園によって制定されました。立春の直後で、十と一を組み合わせると「土」になることから、一年間大切に飾られ厄を払ってくれた干支置物に感謝し、元の土に還す日という意味だそうです。
 
 中外陶園では、干支置物の処分にお困りの方のために、役目を終えた干支を感謝の気持ちとともに元の土に還す「干支供養」が行なわれています。供養祭は、薬師窯ゆかりの宝泉寺ご住職がご導師され、毎年2月11日の11時<土(つち)の日・土(つち)の時>に開催されています。
 
 ただ、現実を振り返ってみると、年賀状以外で干支を意識している人がどれだけいるのでしょうか、私には少し疑問が残ります。今年が未年だということは、まだ記憶に新しいところですが、去年の干支は?と問われて瞬時に答えられる人がそれほど多いとは思えないからです。
 
 私は「子丑寅卯辰巳…」と思い返さなければなかなか出てこないものですから。これは単に私がボケているだけなのでしょうか。ちなみに、去年の干支は午年だったのですが・・・・!!!!
 
 さて今日は、9時から地元の山寺町の役員会が、終日に亘り予定されています。平成26年度の町事業・会計報告と平成27年度の事業・会計計画が協議されます。町としての課題等も話し合われますので、しっかりとお伺いしたいと思います。終了予定時間は15時とされています。終了後、事務所に来客が予定されていますが、告示まで51日と迫る中、しっかりと課題解決に向けて取り組んで参ります。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日2月10日は「ふ(2)」と「とう(10)」の語呂合せから、「ふきのとうの日」とされています。雪で覆われた大地からニョキッと顔を出す“春を告げる山菜”、みなさんはどんな食べ方をされていますか?
 
 ふきのとうは日本原産の山菜・野菜です。その名の通り、大きな葉と長い茎に成長する「ふき」の花のつぼみで、葉が地上に出る前、つぼみが真っ先に顔を出します。
 
 近畿地方の平地でも、そろそろ顔を出し始めるシーズンなので、もうまもなく露地ものがスーパーに並び、「春だなあ〜」と思わせてくれると思います。
 
 皆様は、おとぎ話に出てくる小人〈コロボックル〉をご存じでしょうか? あの小人たちは、北海道アイヌの伝説に出てくるのですが、大きなふきの葉っぱを屋根にした家に住んでいることから、「フキの下の人」という意味のアイヌ語に由来して、〈コロボックル〉という名前なのだそうです。
 
 ふきのとうは縄文時代から食されていたと言われていますから、ふきのある場所で暮らしていたコロボックルたちも、小さなカラダで力を合わせてつぼみを摘み取り、春の香りを味わっていたのかも知れませんね・・・・!!!!
 
 さて今日は、9時30分から2月定例会議1週間前の議会運営委員会が開会されますので出席をします。終了後、役員会も開催されるそうですので引き続き出席します。
 
 昨日の2月定例会議提出議案の説明では4時間を超える丁寧な説明がありました。先週の会派政調会でも3時間30分、合わせて7時間30分、しっかりと聞いて一般質問や予算特別委員会での質問・質疑に備えたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 バレーボールは、テニスをヒントに、女性や子供が気軽に楽しめるレクリエーションとして1895(明治28)年2月9日、アメリカ合衆国でウィリアム・G・モーガンによって考案されました。
 
 そのころのルールは非常に単純で、試合に集まった人たちを同じ数の2チームに分けて、ボールを打ち合い、ボールを落としたほうが負けというものであったそうです。

 1896(明治29)年、モーガンはこの新ゲームをスプリングフィールドで開催されたYMCA体育指導者会議の際に公開しました。
 
 モーガンは当初このゲームをミントネットと名付けましたが、後にハルステッド(YMCAトレーニングスクール教官)の提案を受け、名称をバレー・ボール(volley ball)に改めました。1952(昭和27)年に現在のようにバレーボール(volleyball)と一語で表すようになりました。

 このバレーボールは各地に点在するYMCAを通じてアメリカ全土に広まっていき、1900(明治33)年にかナダ、1906(明治39)年にキューバに紹介されたそうです。

 日本にバレーボールが紹介されたのは1913(大正2)年のことで、YMCA体育主事のF.H.ブラウンによってもたらされました。
 
 この頃はまだしっかりとルールが出来上がっていなかったので、日本において独自にルールが作られていきました。チームの人数は最初は16人でしたが、12人に変わり、続いて9人となり現在の9人制バレーボールに近いものが出来上がったとされています。

 私も、中学1年生の時からバレー部に入部し、チームプレーの楽しさや目標に向かって皆で一つになって努力する大切さを学びました。今でもその当時の仲間や先輩、後輩との交流を大切にしており、私の大きな支えになっていただいています。

 さて今日は、10時からは会派政調が予定されており、代表質問の件で協議がされることになっています。その後、13時からは会派総会が召集されており、定例会議での提出案件説明が3時間程度予定されています。来週17日から2月定例会議が始まりますので、しっかりと聞き取りをしたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 皆様も良くご存知の人気アイドルの「会いに行けるアイドル」というコンセプトを体現したAKB48の活動拠点として2005(平成17)年2月8日、東京秋葉原(ドンキ・ホーテ秋葉原店8階)にAKB48劇場が竣工しました。

 今では、子供から大人まで絶大な人気を誇っていますが、デビュー当時は、秋葉原のオタク族の人気者程度の評価しか与えられず、売り出すまでは相当な苦労があったそうです。
 
 このメンバー名からすると48人のグループと思いがちですが、実は正規メンバーと研究生を合わせると100名からなるグループでギネスにも登録されているそうです。
 
 見ていても名前と顔が一致しませんが、過去3回にわたり、「組閣」と呼ばれる大規模な人気投票により再編が行われており、センターポジション等が変わっているそうですが私の知るところではないようです・・・・!!!!
 
 投票によりポジションが変わるというところは、我々と同じであると変な親近感を持たせていただきました。私もこの春の選挙で、センターが取れるように頑張りますので応援宜しくお願い申し上げます。
 
 さて今日は、11時からはクサツエストピアホテルに於きまして、武村展英衆議院議員の「感謝のつどい」が開催されますので出席をさせていただきます。
 
 今夜、19時30分からは事務所にて後援会の役員会をお願いしています。近づく大きな課題に備えご協議をいただきたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1184年(寿永3年)2月7日に起こった摂津の国一ノ谷(現・神戸市)での合戦は、源義経の奇襲によって源氏が勝ったと言われています。平氏方の陣の背後、鵯越の急勾配の坂を一気に馬で駆け降り平家を討ちました。義経の戦上手を伝える「鵯越の逆落とし」の名場面とされています。
 
 しかしこの戦の勝利を決定付けたのは義経の奇襲ではありませんでした。そこにはカラクリがあったとされています。後白河法皇による停戦命令がその原因とされています。合戦の前日、後白河法皇の近臣・修理権大夫という者から、平家に使者が送られました。
 
 持参した手紙には「源平の和平の件でそちらに向かうので、交渉が終わるまで一切戦闘行為をしないように。このことは関東武士(源氏)にも伝えてあるので、平氏方も徹底すること」とありました。この停戦命令を律儀に信じた平氏方は、安心して武装を解除しました。
 
 ここに源氏の大群が襲い掛かりました。平氏方の死者は1000余人。重衡は捕虜となり、忠度以下、経正、経俊、敦盛など、多くの一門が討たれました。
 
 生き残ったのは沖合の船上にいた総大将宗盛のみでした。これに憤慨した宗盛は、合戦後、法皇に抗議の手紙を送っていますが後の祭りでした。この合戦がターニングポイントとなり、以後平家は、急速に滅亡の道を辿ったとされています。
 
 さて今日は、16時からは、アヤハレークサイドホテルに於いて、滋賀県遺族会の皆様との懇談会が予定されておりますので出席をさせていただくことになっています。
 
 更に19時からは、馬場会館にて奥村次一草津市議会議員との市政・県政報告会を予定しています。ご近所の皆様のご来場をお待ちしております。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1972(昭和47)年2月3日に札幌冬季オリンピックが開幕しました。4日目の2月6日、宮の森ジャンプ競技場では日本のメダルが期待された70m級ジャンプ(現在のノーマルヒル)が行なわれました。

 1本目で84mの最長不倒を記録し首位に立った笠谷幸生は、2本目はやや失速したものの79mを飛んで優勝。日本人として初めて冬季五輪で金メダルを獲得しました。さらに金野昭次が2位に、青地清二が3位に入り、日本人が表彰台を独占するという快挙も成し遂げました。

 開催国での快挙に日本中が沸き、以後、日本のジャンプ陣が“日の丸飛行隊”と呼ばれるきっかけとなりました。当時、私は中学2年生でしたが、笠谷さん、金野さん、青地さんの3人の活躍をテレビで見て、拍手を送っていたことを覚えています。

 文字通り、表彰式では金・銀・銅を独占しての日の丸が並んで掲げられたことに感動を覚えたことも事実です。今から考えれば、開催国というプレッシャーに負けることなく実力を出し切ったことに改めて敬服する次第です。

 当時の国民に夢と希望と感動を与えて頂いたことに心から感謝を申し上げます。皆さんは今はどうしておられるのでしょうか!?

 さて今日は、地元の新興住宅地域へのご挨拶に伺いたいと思います。この数年、私の地域も住宅開発が進み、新しい自治会が発足しました。同じ住居表示でもあることからと親近感をもってご挨拶をしたいのですが・・・・!!!!
しっかりと、地域の安全と安心の取り組みをご理解いただけるよう努めます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 『モダン・タイムス』は、1936(昭和11)年2月5日に公開されたアメリカ映画です。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画で、彼の代表作のひとつとされています。
 
 資本主義社会や機械文明を痛烈に風刺した作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現されています。
 
 自動給食マシーンの実験台にされるシーンや、チャップリンが歯車に巻き込まれるシーン、ラストのチャップリンとヒロインが手をつないで道を歩いてゆくシーンなどが有名です。
 
 この作品は前作の『街の灯』(1931年)に続いてのサウンド版で、一部にセリフが入る以外は音楽の伴奏と効果音のみによるサイレント映画となっています。
 
 公開当時はすでにトーキー映画が普及していたため、この作品は「時代遅れ」と呼ばれてあまり高い評価は得られませんでしたが、本作はチャップリンの作品の中でも特に傑作と呼ばれ、『黄金狂時代』『街の灯』『独裁者』と並ぶチャップリンの代表作と称されています。
 
 さて今日は、13時から新道政治連盟滋賀県本部による講演会が栗東市「さきら」にて開催されますので出席をさせていただきます。それまでは、昨日に続き地元への挨拶回りに伺う予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日、2月4日は11年前の2004(平成16)年に、アメリカでFacebookが開設された日です。マーク・ザッカーバーグがハーバード大学のルームメイトや同級生だった仲間と創業しました。

 当初は学生のみに限定したサービスでしたが、2006(平成18)年9月に一般にも開放したことで世界中で利用できるようになりました。その後、2008年5月に日本語版が公開され、2013年末には、国内におけるユーザー数は2000万人以上いると言われています。

 私も遅ればせながら一昨年の10月頃に登録し、時々利用していますが、今ではすっかり定着したサービスと言えるのではと思います。とは言え、若い世代には次なる手段であるLINEが好まれるなど、日本国内を見ると先行きが怪しい気もします・・・・!!!!

 多くの方々と情報を共有し、関心のある方々と様々な分野で意見交換が可能である手軽さは、皆さんの情報発信の活発な状況を見るにつけ感心しています。これからも、多くの皆さんとの意見交換の場として、また、情報入手の手段として活用させて頂きます。なかなか更新が行き届きませんが、どうかお友達の皆様、これからも宜しくお願い申し上げます。

 さて今日は、9時30分から、地元の工業団地へのご挨拶を予定しています。その後、昨日ご相談の医療施設の件で、県行政や草津市に対して相談させていただきたいと思います。午後からは、回答をお持ちする予定です。その後、市内の挨拶を予定しています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大豆製品を取扱うニチモウ(現 ニチモウバイオティックス)によって制定されました。この日は、豆撒きをする節分になることが多いことからとされています。そこで、今日は大豆のことについて少し調べてみました。

 大豆の原産地にはいくつかの説がありますが、一般的には紀元前2000年以前から中国のかなり広い範囲で栽培されていたようです。その後、朝鮮半島や東南アジアにも伝わっていきました。

 日本へは、約2000年前の弥生時代に原産地である中国から朝鮮半島を通じて入ってきたと考えられています。奈良時代に中国との交流が盛んになってから、仏教とともに味噌や醤油など大豆の加工品や加工方法も伝わって来たとされています。
 
 奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「古事記」にも「豆」という字が記されています。当時、大豆は特別な食物だったようで、一般には普及していませんでした。

 日本で広く栽培が始まったのは鎌倉時代以降のようです。その頃には仏教が広く普及しており、その影響で肉食が禁止されていたため、身体に必要なたんぱく源を味噌や納豆から得ていました。また、戦(いくさ)に出かける侍や農民たちの栄養食・保存食としても大豆製品が欠かせませんでした。

 こうして大豆の栽培が広まっていき、時代とともに加工技術も発達していきました。そして、味噌、納豆、醤油、豆腐、きな粉、おから、ゆばなど様々な加工品が作られ、私たち日本人の食生活になくてはならないものになっていきました。

 さて今日は、10時からは文教・警察常任委員会が開会されますので出席をします。委員会終了後の13時15分からは、同委員会による県内行政調査が予定されており、野洲市にあります「滋賀県教育センター」を訪問することになっています。更に、夕方から市内の医療施設を訪問します。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 ラムサール条約は、1971(昭和46)年2月2日にイランのラムサールで締結されました。その日を記念して、毎年2月2日を「世界湿地の日(WWD)」とするよう、1996(平成8)年に定められました。
 
 世界湿地の日には、湿地の恩恵や価値に目を向け、その維持と賢明な利用を達成するという、ラムサール条約や同条約の目的を達成するために、同条約について一般に啓発する取り組みが、世界中で行われています。
 
 毎年異なるテーマがラムサール条約事務局により設定され、WWDには世界中の加盟国が、その年のテーマに沿ったイベント・展示・ワークショップなどを行います。
 
 WWDを祝う方法は、特にも指定されていないそうです。国や地域それぞれが、それぞれの湿地とその関わり方、受けている恩恵を祝うため、趣向を凝らしているとしています。
 
 そして、WWDへの参加は自由!湿地について、何人かの人々が集まって活動すれば、立派なWWDイベントとされています。イベント実施後、条約事務局に報告すれば、ラムサール条約事務局のWWD催しリストに掲載されるそうです。みなさんも、このWWDを機会に身近な湿地について考えてみてはいかがでしょうか?
 
 さて今日は、告示まで60日と迫る中、2月定例会議に向けた取り組みが予定されています。10時からは、会派政調会が召集されており、代表質問についての協議がされることになっています。13時からは、2月定例会議に向けた「案件説明」が3時間程度予定されています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 日本のプロ野球では、ペナントレース開始を目前に全球団が一斉に2月1日から1か月間、選手・監督・コーチが合宿して全体練習などが行なわれ、これを「春季キャンプ」と呼ばれています。

 このように日本プロ野球におけるキャンプは、各球団が公式戦の期間外などに、ある地域に宿営して全体練習や個人練習、自主練習などを行うこととされています。2月1日から行われる春季キャンプがありますが、ペナントレース終了後の10月下旬頃から行われる秋季キャンプに分けられます。

 これらは主に本拠地以外の地域に宿営して2週間ないし1箇月という長期間にわたって実施されます。また春季非公式試合(オープン戦)や公式戦の期間中もしくは日本選手権シリーズの開催前などにチーム全体で、あるいは個人の選手がチームを離脱して調整を行う際などにはミニキャンプと称し、数日から1週間程度、本拠地もしくはそれ以外の地域で短期間のキャンプを実施することもあるそうです。

 球団あるいは監督・コーチが主導する形でチーム単位もしくは個人単位で行うものは「キャンプ」と呼ばれますが、選手だけで自主的に集合し、球団や監督・コーチが関わることなしに行われるものは「自主トレーニング」と呼ばれています。

 日本のプロ野球のキャンプ地は、以前は日本国外や高知県でもキャンプが行われていましたが、現在は殆どのチームが沖縄県もしくは宮崎県に集中する傾向となっています。キャンプ地選びでは冬の気象条件は特に重要であり、平均気温が15℃以上で国内で一番温暖な沖縄県か、沖縄ほど温暖ではない一方で晴天日の多い宮崎県の2県に集中しています。

 さて、今日から2月に入りましたが、古くから1月(行く)、2月(逃げる)、3月(去る)と言われており、いずれも早く日が過ぎ去るさまとされているようです。この早く過ぎ去る合間をぬって準備を進めなければなりません。
 
 本日は、8時30分から地元・山寺町の奉仕作業が予定されていますので参加をしたいと思います。午後からは、昨日に引き続きご挨拶に伺う予定をしています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!