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 今日(10月31日)は、「世界勤倹デー」とされ、1924(大正13)年のこの日、イタリアのミラノで開催されていた国際貯蓄会議の最終日に、この日を「世界勤倹デー」とすることが決定されました。
 
 日本は1952(昭和27)年に加わっています。戦後の高度経済成長の中で、まるで消費をすることが美徳のような感じにさえなった現代に、「勤倹(きんけん)」などと言う言葉はもう忘れかけていた非常に懐かしい言葉のような気さえします。
 
 「勤倹」とは、勤勉で倹約につとめること(さま)をいい、「勤倹貯蓄」などといった使い方をするそうです。家計における「貯蓄」とは、将来に備えて銀行や郵便局などにお金を預けることをいい、多少のリスクを伴ってでも貯蓄以上に元手を増やしたい場合は、「投資」をすることになります。
 
 貯めることに重点をおいた「貯蓄」か、殖やすことに重点をおいた「投資」を重視するかは、人それぞれのライフプランやライフスタイル(生活の様式=その人の人生観、価値観、アイデンティティを反映した生き方)などによって変わってくるものとされています。しかし、私達の銀行などへ預けた預金も、企業への貸し付けという銀行の行為によって、企業に投資されているとも理解されています。
 
 さて今日も、10時から「友好団体」の要望聴き取りが予定されています。「商工連合会」「中小団体中央会」「日本保育協会滋賀県支部」「中小企業家同友会」の4団体が午前中に予定されています。
 
 昼食後、13時から「たばこ組合」「旅館ホテル生活衛生同業組合」の2団体が行われ、終了後の14時からは、会派政調会による「次長会」が開催されますので出席をすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1938(昭和13)年10月30日、アメリカ・CBCラジオでオーソン・ウェルズ演出のSFドラマ『宇宙戦争』が放送されました。
 
 演出として「火星人が攻めてきた」という臨時ニュースを流した所、本物のニュースと勘違いされ、120万人以上が大パニックになったそうです。
 
 この番組は、ハロウィン特別番組として放送されたものですが、この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行中であると信じさせました。
 
 侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われていますが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていたとされています。
 
 ただし、このパニックについては、疑いももたれています。全国の警察に膨大な量の問い合わせの電話があったことは事実ですが、それ以上の行動が起こったという証拠はほとんどないそうです。
 
 さて今日も、10時から「友好団体」要望聴き取りが予定されています。午前中に「地域福祉施策検討委員会」「社会福祉協議会」「電業協会」がそれぞれ予定されています。
 
 午後からは「県漁連」「行政書士会」「老人クラブ連合会」「歯科医師会」「建築士会」が引き続き行われることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日10月29日は「とらふぐの日」とされており、「と(10)らふ(2)ぐ(9)」の語呂合せからだそうです。他に同様の語呂合わせで「ふくの日=2月9日(下関ふく連盟が1981(昭和56)年に制定。)」「ふぐの日=9月29日 」があります。
 
 河豚(ふぐ)の古名はふくであり、ふぐの名の由来は遠く菅原公が九州に左遷された頃の古書にすでに「布久」と記されています。又、新井白石の「東雅」には、ふくとはその腹脹れることをいうと記されているそうで、その語源は怒ると腹がふくれることによるようですが、また一説ではふくは海底の砂を吹いて出てくるカイ類を食べる性質があるので「吹く」に由来するとも言われているそうです。
 
 そのふぐの種類は約70種類とも100種類とも言われていますが、食用に出来るのはその内約1〜2割となっています。明治時代、伊藤博文公が下関に来られた時、しけの為魚が全然ありませんでしたが、「下関に来て魚がないとは・・・・」と皮肉を言われた女将が、当時禁止とされていたふぐ料理を出したとのことです。
 
 その時、食された博文公は「これに勝る品なし」と絶賛し、山口県に命じ禁止令を解いたそうで、その時、禁止令が解かれたのは、山口県だけで、全国の地域で禁止令が解かれるようになったのは戦後のこととされています。その様なことから、ふぐは「山口県・下関」と言われるようになったそうです。今、下関はふぐの取り扱い量日本一を誇る集散地となり、ここから全国各地の市場に配送されています。これから寒い時期、「ふぐ」の美味しい季節でもあります。皆様もどうかお楽しみ下さい。
 
 さて今日は、9時から定期健診のため病院へ行くことになっています。13時30分からは、昨日に引き続き「友好団体」要望聴き取りが予定されており、本日は、「学校給食組合」「測量設計技術協会」「農業協同組合中央会」「消防協会」「滋賀県生コンクリート工業組合」がそれぞれお越しいただくことになっています。
 
 また、19時からは地元の志津地区教育振興会の本部会・代表者会が、それぞれ開催されますので、会長をお引き受けしている立場から皆様にご挨拶をさせていただくことになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 通天閣は、大阪府大阪市浪速区にある新世界の中心部に建つ展望塔です。2007(平成19)年5月15日に、国の登録有形文化財になりました。公式キャラクターは「ビリケンさん」。大阪の観光名所として知られています。

 現在の通天閣は二代目で、1956(昭和31)年10月28日に完成しました。通天閣観光株式会社により運営されています。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲氏です。
 
 建設を施工したのは奥村組です。「通天閣」とは、「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳氏です。

 完成翌年の1957(昭和32)年から、塔の側面に総合電機企業の日立製作所が広告を出しています。当時、松下電器の松下幸之助社長は広告を断った件を後悔したといわれています。

 かつては広告上部に日立の社章である「亀の子マーク」が付けられていましたが、日立が使用をやめた2001年に取り外され、その当時はマークなしの看板に違和感を覚える市民も少なくなかったそうです。
 
 毎日正午には日立の樹(この木何の木気になる木)でお馴染みのCMソングが流れるそうです。残念ながら私は未だ聞いたことがありません・・・・なお西面だけは日立の広告ではなく、公共性に配慮したものとなっています。

 さて今日から11月11日の間の6日間を利用して、恒例の「友好団体要望聴き取り」が開催されることになっています。午前中10時30分からの「バス協会」を皮切りに「空調衛生協会」「電気工事組合」が、午後からは「ビルメンテナンス協会」「医師会」「大津生コンクリート協同組合」「協会けんぽ」がそれぞれ予定されています。
私も可能な限り全日程に出席をさせていただきたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 この法律は、国や公共団体の賠償責任について規定した法律です。1947(昭和22)年に制定されました。
 
 国や公共団体などの公権力を行使する公務員が職務を行う際に故意または過失により違法に他人に損害を与えたときや、道路・河川などの公の営造物の設置・管理の瑕疵により他人が損害を受けたときに、国や公共団体が負う賠償責任について定められています。
 
 また、原因となった公務員や営造物の管理責任者などに対して国や公共団体が有する求償権や、外国人に対する賠償責任についても規定しており、行政不服審査法・行政事件訴訟法と合わせて救済三法とされています。
 
 この法律は、6条からなっており、近年ではハンセン病患者の訴訟において、同法が適用されています。
 
 さて今日は、午前中は地元の対応のため時間を取りたいと思います。3町内の自治会長を訪ねる予定をしています。
 
 午後からは、議会運営委員会が開会されますので出席をすることになっています。夕方からは、草津市の教育関係の皆様との意見交換の場をお願いしています。やはりこの時期、子供達の学力向上への取り組みについてが話題となりそうです。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1871(明治4)年10月26日、東京都の九段下(靖国神社)にフランスの「スリエサーカス」がやってきました。西洋サーカスの国内巡業は初めてのことで、当時の日本人は大盛り上がり!その後、本格的なサーカスが来日したのは1886(明治19)年のチャリネ曲馬団でした。
 
 その後、明治から大正にかけて、日本でもサーカス団が続々誕生します。一時はとても流行したサーカスですが、1948(昭和23)年にできた児童福祉法により15歳未満はステージに立つことが禁止され、小さい頃からの訓練と経験が必要なサーカスとしては深刻な後継者問題になったそうです。
 
 現在では、木下大サーカス・キグレサーカス・ハッピードリームサーカスが日本3大サーカスとして、サーカス業界を盛り上げています。日本にサーカスが根付くのは昭和初期で、キッカケはドイツから来たサーカス団だったそうです。その人気は凄まじく、昭和初期の日本に一大サーカスブームを沸きあがらせました。
 
 戦争で一旦サーカスブームは火を消しましたが、昭和33年そんな日本に当時のソビエト連邦が生んだ国立のサーカス団「ボリショイサーカス」がやってきました。幼い頃から英才教育で鍛え抜かれた団員たちや、クマやゾウたちの巧みな演技は日本中を魅了しました。皇太子・浩宮さまも小学生の頃にご観覧されました。このボリショイ人気は日本のサーカス団にも再ブームとして思わぬ恩恵をもたらしました。しかしその後「娯楽の多様化」により大衆の足は再びサーカスから離れていく事になってしまいました。
 
 さて今日は、穏やかな天候に恵まれ各地で秋の恒例行事が盛大に開催されます。私も、8時30分から渋川学区のふれあいまつりの開会式に参加をさせていただくことを皮切りに、9時30分からは、志那町での町民運動会の開会式にも出席をさせていただく予定をしています。
 
 引き続き、10時からは、地元の消防団第二分団の新型ポンプ車配置記念式に参加をさせていただきたいと思います。10時30分からは、青地第一町のふれあいまつりに出席をさせていただき、お祝いの言葉をお伝えしたいと思います。
 また、別に11時からは親戚の法事にお参りさせていただく予定もしています。久しぶりにハードな日程です。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2001(平成13)年10月25日、名古屋で産業観光サミットが開催されたことを記念して、名古屋商工会議所文化委員会によって制定されました。
 
 産業観光とは、歴史的・文化的に価値ある工場や機械などの産業文化財や産業製品を通じて、ものづくりの心にふれることを目的とした観光とされています。日本では東海旅客鉄道初代会長の須田寛氏が初めて提唱しました。

 愛知県を中心とした東海地方は昔から製造業を中心として栄えてきた地域であり、さまざまな分野の「ものづくり」の現場に直接触れ合うことができることもあって非常に盛んな地域に位置づけられています。
 
 2020年東京オリンピックによって海外からの来訪者が増加することが予想される中で、産業界の新たな展開に向けたキックオフの契機の場となるよう産業界だけでなく、国や地方も支援体制をとることが重要視されています。
 
 さて今日は、10時から草津市総合体育館において、第64回滋賀県身体障害者福祉大会が開催されますので出席をさせていただきお祝いをお伝えします。
 
 その後、今日・明日と予定されている、平成26年度の草津市農業まつりを見学させていただきたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1972(昭和47)年の国連総会で、開発問題とその解決に必要な国際協力への関心を高めるために制定されました。国際デーの一つとして、1970(昭和45)年10月24日、「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」が採択されました。
 
 世界中で行われている開発に関する情報を集めて、地球全体の開発のバランスを考える日とされています。
 
 世界の開発のバランス!? 一見難しく感じますが、世界の役に立つ発明はどこかの国で独り占めすることなく、世界中のみんなで共有されることが望ましいことだと思う次第です。
 
 こうした情報を広め、若い世代を中心に人々の開発問題に対する関心を高め、開発のための国際協力を促すことを目指すことは良いことだと思います。沢山の計画や専門機関を抱える国連。それぞれの役割に改めて目を向けてみたいと考えます。
 
 さて今日は、10時から滋賀県の東京事務所に於きまして、『ゆめぷらざ滋賀の現状と首都圏における新たな拠点づくりについて』をテーマにお話を伺うことになっています。その後には、滋賀県をはじめ、他府県のアンテナショップの視察もすることになっています。
 
 私は、かねてからこの「ゆめぷらざ滋賀」の現状について、費用対効果が現れていないと判断しているだけに、今後の取り組みについて、この際しっかりと伺いたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今月10月23日は65回目の電信電話記念日です。人間の年で言えば、還暦を過ぎ、地域での老人クラブに入るような年頃を迎えたことになります。戦後、明治以来長く続いてきた逓信省がGHQの指示の下、郵政省と電気通信省とに分割(二省分離)された際、1950(昭和25)年に電気通信省によって、この電信電話記念日が制定されました。

 戦後、戦災でダメージを受けた電気通信設備を復旧・復興し、電気通信サービスを広く国民に普及させる目標を持って、米国流の考え方に従って電気通信事業運営を独立し、さらに1952(昭和27)年に日本電信電話公社が発足する流れが始まった年でした。従って、電信電話記念日それ自体が、戦後日本の復興の意気込み、国家戦略の一つとなっていたと考えられています。

 今日、国の戦略が議論されているなかで、ブロードバンド構想や情報通信(ICT)利活用策が推進されていますが、まさに、還暦を迎える電信電話記念日の今日的意義も、そこにあるものと考えられています。

 戦後の電気通信の復興、普及・拡大は国家的に成し遂げられましたが、新しい戦略が混沌としている今日、情報通信サービスの役割、さらには情報通信事業の国家戦略的意義を考える良い機会となるのが、この電信電話記念日ではないかと思う次第です。

 さて、会派政調会の皆さんと上京中ですが、『地方創生について』の勉強会と調査のため、また、明日24日は『ゆめプラザ滋賀』についての現状と今後の取り組みについて、それぞれ調査するため衆議院会館や東京県事務所を訪問することになっています。

 本日は、13時30分から、上野議員事務所に集合し、14時からは、内閣官房まちひとしごと創生本部の溝口参事官より『地方創生について』のお話を伺う予定です。16時からは、来年度要望について国土交通大臣政務官室を訪問することになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1998(平成10)年10月22日、一人の女性が白血病から、さい帯血移植により奇跡的に命を救われました。それは、夫婦の強い絆が白血病を乗り越え、新しい彼女の人生が始まった瞬間でもありました。

 1998年、国内でさい帯血移植が成人で成功した最初の患者となった斎藤ときえさんは19歳の時「骨髄異形成症候群」と診断され、27歳に急性骨髄性白血病へ移行してしまいました。なるべく普通の人と同じように生活したいという気持ちが強かったと言う彼女。しかし、こんな自分に未来はあるだろか。彼女は一人で人知れず闘っていました。

 その頃、1歳年上の男性、茂樹さんと知り合い、彼は、病気により赤ちゃんを産めない事もあって結婚を諦めていた彼女に、プロポーズしました。しかし、結婚して間もなく、彼女は急性骨髄性白血病に移行されてしまったのです。免疫機能が低下して感染症を起こしており、一刻を争う状態でした。

 ときえさんは、最先端の治療を求めて東京大学医科学研究所付属病院へと移りました。彼女を助けるために、医師が提案した方法が「さい帯血移植」という治療法でした。しかし、当時は、まだ成人での成功例はありませんでした。そのため、成人への、さい帯血移植は、時期尚早ではないかとの否定的な意見も多かったようです。

 でも、一刻を争う彼女を助けるためにはさい帯血移植しかないとの判断から1998年8月、さい帯血移植が行われ、2ヶ月後の10月22日見事に回復しました。現在、佐藤さんは夫と暮らしながらさい帯血の提供を呼びかけるボランティア活動をされているそうです。

 さて今日は、市内の特定農業法人を訪問し、担い手対策についての取り組み状況を伺うことになっています。農地の委託状況や経営規模の拡大による経営状況などデータも準備いただいているようですので、ご苦労話や今後の意欲などについてお聞きしたいと思います。県として支援出来る限りの方策をもう一度考える必要性を感じます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 関ヶ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月5日、つまり西暦1600年10月21日に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)を主戦場として行われた野戦とされています。

 関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われました。主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっています。豊臣秀吉はその晩年、五大老(徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元)と五奉行(前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家)を制度化して自らの死後の政務を有力大名や諸将に託そうとしていました。

 ところが、豊臣政権下、秀吉の側近として政務を取り仕切っていた石田三成ら(いわゆる文治派)と加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興ら(いわゆる武断派、七将)との間には対立を生じていました。

 政権内部での両派の対立の深刻化と家康と武断派諸将との接近などを経て、1600年に行われた戦いが関ヶ原の戦いとされています。関ヶ原の戦いで争った二派は、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成を中心とする西軍です。東軍・西軍の諸将の多くは豊臣恩顧の武将であり、この戦いの性格について家康は豊臣家の家臣同士の成敗合戦という建前をとり、また、豊臣家も表向きは静観の立場を取りました。しかし、この戦いは実質的に徳川家康の覇権を決定づけることとなったことは歴史が物語っています。

 さて今日は、農地の休業対策の件で、JA草津市を訪問し協議をすることになっています。最近、私の周りでも後継者不足を受けて耕作が困難となり、休業せざるを得ないとの相談が寄せられています。その対策の一環としてJAでは、農地の預かり制度を確立されているところですが、本日はその実態について伺うことになっています。その後、議会事務局の方々との協議をしたいと思います。

 また、16時からは、綾羽高等学校を訪問し施設見学や授業参観をさせていただいた後、概要説明や意見交換をさせていただく予定をしています。綾羽高等学校は、何と言ってもキャリア教育の推進校にあると認識しています。半日を学校で、半日をインターンシップ先で学んでいる学生がいます。この両立で得ることのできる「経験」は、将来の社会進出にとって大きな武器になると考えます。机上の勉強だけではなく、実践を重ね、社会で活かせる知識と技術力を着実に身につけることを大切にされています。その他にも特色のある運営をされているようですので詳しく伺いたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 ソフト化経済センターによって1989(平成元)年に制定されました。「ソ(十)フ(2)ト(十)」の語呂合せからだそうです。柔らかな発想で、これまでと違ったことをやってみるという「ソフト化」を広く呼びかける日としています。

 ところで、このソフト経済センターですが、1984(昭和59)年に設立されて以来、21年間もの間の長期に亘り、日本経済や産業のソフト化に貢献されてきましたが、すでにソフト化も進み、役割が一段落したと判断されたことから、2004(平成16)年度をもって活動を停止し、事業も清算されたようです。

 私は、今日は何の日かを調べていて、「ソフト化の日」と在りましたので、“ソフト”のイメージからもう少し軟らかいというか、軽いというイメージを持ってしまいました。経済の仕組みのソフト化って、はっきり言って少し理解に苦しむところがあるように感じました。

 ともあれ、今日の経済社会において、役割を終えた団体があるほど事業が進行しているのですから、これはこれで良かったんだろうと思いますので、せっかくの今日の日ですから、是非とも皆様も経済のソフト化について思いを巡らせてみてください・・・・!!!!

 さて今日は、9時30分から順番に南部土木事務所と草津市役所にて、来年度事業のことでお話を伺う予定をしています。その後、11時から選挙管理委員会に行く予定をしています。今週から決算特別委員会も開会されており、関係の皆様はその準備にも忙しくされていますので、合間をぬって伺いたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 世界共通の英語コミュニケーション能力検定「TOEIC」を日本で実施する国際ビジネスコミュニケーション協会によって制定された記念日です。「トー(10)イッ(1)ク(9)」の語呂合せからこの10月19日が決まったそうです。

 TOEICとは、Test of English for International Communication(国際コミュニケーション英語能力テスト)の略称です。英語を母国語としない人を対象とした、英語によるコミュニケーション能力を評価するための試験で、世界約150ヵ国で実施され、年間のべ約500万人が受験しています。

 このテストは、合否ではなく10点から990点までのスコアで評価されます。このスコアは、常に評価基準を一定に保つために統計処理が行われ、能力に変化がない限りスコアも一定に保たれている点が大きな特長とされています。これによりTOEICテストで、受験者の現在の英語能力を正確に把握したり、目標とするスコアを設定したりすることが可能になるとされています。

 また、このテストは、世界中で実施されており、その国独自の文化的背景や言いまわしを知らなければ解答できないような問題は排除されていますので、「世界共通の基準」として活用することができるとされています。

 TOEICテストは和文英訳、英文和訳などの技術ではなく、身近な内容からビジネスまで幅広くどれだけ英語でコミュニケーションできるかということが測られます。また、ListeningとReadingという受動的な能力が客観的に測定されることにより、SpeakingとWritingという能動的な能力までも含めた英語によるコミュニケーション能力を総合的に評価できるように設計されています。

 是非とも、この機会に皆様も自分の英語でのコミュニケーション能力などを知るうえで役立てるため、次回の試験に挑戦されては如何でしょうか!?昨日は、行楽の秋でしたが、本日は勉学の秋のお勧めでした・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 世界メノポーズ(閉経)デーは、“21世紀を目前に高齢化社会の到来を受け、今後更年期の健康に関わる情報を全世界へ提供する日”として、第9回国際閉経学会において毎年10月18日を世界メノポーズデーとすることが採択され誕生しました。
 
 今日、日本女性の平均寿命は80歳を超えています。メノポーズの後、約30年余、つまり人生のほぼ3分の1を女性ホルモンに守られていた頃とちがった状態で過ごさなくてはなりません。
 
 特にメノポーズ前後約10年間の更年期は、女性ホルモン値(エストロゲン値やFSH値)の変化による心身の様々な不調が出現し始める時期であり、この時期をいかに過ごすかは女性にとって大変重要な問題です。
 
 更年期についての情報を一般の方に広く知ってもらうため、この度、日本女性医学学会は10月18日の世界メノポーズデーに合わせ、10月18日〜24日までの1週間を『メノポーズ週間』としています。メノポーズデー週間設立以降、ポスターや新聞、プレスセミナーなどでの告知活動を行い、メノポーズ週間の認知を高めること、メノポーズに関する社会的な理解を深め、最終的には生涯を通じた女性の健康支援に貢献することを目的としています。
 
 ところでこの世界メノポーズデーの対象の方々、少なくとも世界中の45歳から55歳の女性が対象になるのですから、これって本当はすごい大きなムーブメントになると考えられます。
 
 この対象年齢の女性が「メノポーズ週間」に映画に行くと半額、レストランに行くとワインがサービスされるとか。メノポーズ世代をメノポーズで良かったなぁ〜と、思わせてくれるようなプロモーションなどを行政も民間ももっと積極的にやってはどうかと思った次第です。次回の一般質問で私が取り上げたら・・・・でしょうか!?
 
 さて、早くも10月半ばを過ぎての週末となりました。2週連続で台風襲来の週末でしたが、今週末は全国的に晴れ模様の絶好の行楽日和となりそうです。この時期、秋恒例の催しも多いようですが、皆様も十分秋をお楽しみ下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 神嘗祭(かんなめさい)は宮中祭祀のひとつとされ、大祭・五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が行われています。また、祝祭日の一つで、秋の季語でもあるそうです。

 宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が行われています。かつては9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納しました。1872(明治5)年以降は新暦の9月17日に実施となりましたが、これでは稲穂の生育が不十分な時期であり間に合わないことから、1879(明治12)年以降は10月17日に実施されています。

 古来より神嘗祭には皇室から神宮へ幣帛使が派遣されていましたが、応仁の乱以降は中断も多かったようです。しかし、1647(正保4)年に幣帛使の発遣が復活して以降は中断なく派遣が行われているそうです。

 「神嘗」は「神の饗(あえ)」が変化したと言われています。「饗え」は食べ物でもてなす意味であり、また、饗は新殻を意味する贄(にえ)が転じたとする説もあります。神宮では、神嘗祭のときに御装束・祭器具を一新します。神宮の正月ともいわれています。神宮の式年遷宮は、大規模な神嘗祭とも言われており、神宮では、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」とも呼ぶそうです。伊勢の民衆は、この祭りを「おおまつり」と呼び、奉祝の行事を行っています。神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないとされています。

 さて今日は、視察研修2日目です。本日は、10時に大牟田市エコサンクセンター・大牟田リサイクル発電事業の施設を見学し、高効率ごみ発電・ごみの広域処理システムを調査することになっています。本日の調査終了後、直ちに新幹線に乗車し、16時30分からJR西日本京都支社での平成26年度滋賀県草津線複線化促進期成同盟会によるJR西日本への要望活動に参加をすることになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 旭川競馬場は、北海道旭川市神居町500にあった地方競馬の競馬場で1975(昭和50)年9月5日に開業されました。

 明治時代末期に旭川市近文町で開設した競馬場は、1965(昭和40)年に花咲町へ移転しましたが、施設の老朽化と花咲スポーツ公園の大規模改修に伴い、1975年より現在地に移転しました。花咲町の旧競馬場跡地は、現在の旭川スタルヒン球場となっています。

 従来より旭川と同様にホッカイドウ競馬(平地競馬場)とばんえい競馬を併催していた岩見沢競馬場と帯広競馬場が1997(平成9)年度をもってホッカイドウ競馬の開催を終了したため、1998(平成10)年度から2006(平成18)年度までは全国で唯一の平地とばんえいを併催した競馬場でした。

 ばんえい競馬の撤退により2007(平成19)年度からはホッカイドウ競馬のみの開催となり、平地とばんえいを併催する競馬場は消滅しました。さらにホッカイドウ競馬も撤退を表明、2008(平成20)年10月16日の開催をもって旭川競馬場から撤退したことにより、旭川競馬場での競馬開催が消滅しました。最後のレースは第11回エーデルワイス賞でした。

 さて今日から明日にかけて、広域行政対策特別委員会の県外行政調査が実施されますので参加をしてきます。本日は、午前中に新幹線で岡山へ移動し、13時から岡山県議会を訪問し、「近隣県とタッグを組んだ地域活性化の推進について」の取り組み状況を調査させて頂くことになっています。終了後に福岡へ移動し、今夜は福岡で泊まる予定です。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1954(昭和29年)年10月15日、草津町、志津村、老上村、山田村、笠縫村、常盤村の1町5村が合併して草津市が誕生しました。
 
 今年で、市政施行60周年を迎えました。去る、10月13日に市民の皆様をお招きしての記念式典が予定されていましたが、台風19号の接近のため記念式典は中止となりました。
 
 草津市は、2年連続して近畿内で住み心地1位を獲得するなど安全・安心のまちづくりに積極的に取り組んでいます。
 
 滋賀県でも、来年2015年をピークに人口減少に入りますが、草津市は隣の守山市、栗東市と共に2040年まで人口が増えると予想されています。
 
 東海道と中山道の分岐・合流の地であった草津は、天下を手中に収めようとした時の権力者たちにとっても、歴史上重要な場所だったことは有名であり、今後とも交通の要衝として、文化・産業・若者・商業など調和のとれた都市機能が充実されることを期待しています。
 
 さて今日は、10時から庁内での協議をお願いしています。12時からは、先のアジア大会で銀メダルを獲得された、草津市出身の我孫子智美選手との対談を予定しています。その後、広報関係の打ち合わせをすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 東京タワーは、東京都港区芝公園4丁目2−8にある集約電波塔です。1958(昭和33)年10月14日に竣工し、同年12月23日に完工式が開かれ、東京のシンボル・観光名所として知られています。正式名称は日本電波塔とのことだそうです。

 高さは333m、塔脚の間隔は88m。総工費約30億円、1年半と延べ219,335人の人員を要して完成しました。地上125mと223mに展望台を有したトランス構造の電波塔です。

 昼間障害標識として、頂点より黄赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっています。テレビおよびFMラジオのアンテナとして放送電波を送出、また東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナとして緊急信号を発信する他、東京都環境局の各種測定器なども設置されています。

 長らく高さが日本一だったというイメージが強いですが、実際に日本一高かったのは1968年6月26日に小笠原諸島が日本に返還され南鳥島ロランタワーと硫黄島ロランタワーに抜かれるまでの約9年半と、対馬(長崎県)のオメガタワーが解体されてから東京スカイツリーに抜かれるまでの約11年間だそうです。但し、自立式鉄塔としては東京スカイツリーに抜かれるまでの約51年半は日本一の高さだそうです。現在はスカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物とのことです。

 台風19号も昨日の夕方から、本日の明け方にかけ各地で被害をもたらせながら本州を横断し、今朝方東北地方の太平洋に達した模様です。今回の台風は、各地に強い風の被害をもたらせたようですが、皆様の地域は如何でしたでしょうか!?また、猛烈な雨をもたらせたとの報道もありましたので心配をしていました。

 本日は、時間を追うごとに影響も治まるようですが、朝の通勤や通学には十分ご注意下さい。我が家の周辺にも台風の影響で、凄い量の落ち葉が吹き寄せられています。先ずは後片付けから始めたいと思います。

 更に、市内や県内の被害状況が気になりますので、情報収集にも努めたいと思います。場合によっては、その対応もしたいと考えています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おう〜!

 大津城の戦いは、1600(慶長5)年10月13日から同年10月21日まで、近江国大津城を巡って行なわれた戦いであり、関ヶ原の戦いの前哨戦と位置付けられています。
 
 豊臣秀吉の死後、天下人の座を狙う徳川家康と、豊臣氏擁護の立場から家康と対立する石田三成ら反家康派の対立は、慶長5年の会津征伐を契機として表面化しました。
 
 石田三成は家康が会津攻めに赴いたことを好機として、大谷吉継や毛利輝元ら反家康派の諸大名を糾合して挙兵しました。
 
 この大津城攻防戦は西軍の勝利に終わりましたが、大局的には西軍の敗因にもつながりました。なぜなら、大津城が開城した10月13日は、関ヶ原の戦いのまさに当日だったからとされています。
 
 さて今日は、台風19号の近畿地方へ大接近するとの予報から、草津市市政施工60周年記念式典が中止となりました。交通機関や、各施設への影響も予想されることから早めの対策が望まれているところです。
 
 私も、本日の予定していた行事を見送り、台風19号の進路を注視しながら自主防災に努めたいと思います。どうか皆様も台風情報に十分ご注意下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1492(明応元)年のこの日、コロンブスがサンサルヴァドル島に上陸し、アメリカ大陸を発見した日とされています。欧米ではコロンブスデーと呼ばれています。コロンブスといえば、卵を潰して立てた逸話が有名ですが、そんなところから、いつしかたまごデーといわれるようになったようです。

 コロンブスは西周りの航海でジパング(日本)とインドを目指したもので、最初の到達地がインドだったと亡くなるまで信じていたそうです。「コロンブスの卵」とは、この卵を机に立ててくださいと言われ、誰も実現できなかった聴衆に対し、コロンブスが卵の先を軽く割って立てて見せたという有名な逸話が残っています。

 「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では誰でも簡単にできる」と言い返したそうです。これが「コロンブスの卵」の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意味なんだそうです。このことから、いつしかたまごデーといわれるようになったようです。
 
 どんなに簡単で単純な方法だったとしても、それを「最初に」やり遂げることはとても至難であること。発想の豊かさであったり、逆転の発想の大切さを感じます。ちなみに日本には、津野正朗さんという卵立ての世界記録保持者がいらっしゃいます。何と101個の生卵を“割らずに”立てられるそうです。
 
 さて今日は、時間を追って本州に近づいてくる台風19号の情報が気になるところですが、10時から親戚の法事に出かけることになっています。途中退席し、13時からお世話になっている方の奥様の告別式に参列させて頂きます。

 加えて、本日は19時30分からは、地元の山寺会館に於きまして、私の県政報告会をさせていただくことになっています。
 
 台風接近のため中止にとも考えたのですが、武村代議士や二之湯参議院議員をゲストにお迎えしていますので、予定通りに開催させていただきたいと思います。予定よりご参加いただく人数は少ないと思いますが、私の決意の一端を述べさせて頂きたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日(10月11日)は、「リンゴの唄」の日とされています。敗戦から2ヶ月、焼け跡の街並みにバラックが建ち、闇市が立ち並ぶようになった1945(昭和20)年10月11日、松竹映画「そよかぜ」が公開されました。
 
 この映画は、敗戦後初めて製作された日本映画であり、公開と同時に大ヒットしました。また、映画以上に人気を集めたのが挿入歌「リンゴの唄」(サトー・ハチロー作詞・万城目正作曲)であり、この歌は戦後を象徴する大ヒットとなりました。
 
 この映画『そよかぜ』は、劇場のオーケストラ部員である3人の青年と歌の大好きな下宿娘が繰り広げる、歌と恋の明るいレビュー映画だそうです。戦前から、大スターだった上原謙、佐野周二、斉藤達雄に加え、松竹歌劇団出身の並木路子が登場しています。
 
 この映画の中で、並木路子の歌う「リンゴの唄」は、秋が深まるにつれて大ヒットし、日本中に知れわたりました。敗戦による開放感と虚脱感の入り交じった国民の心に、この歌の不思議なほど明るいメロディーが、多くの国民に共感を呼んだとされています。しかし、もともとこの映画の脚本は、戦時中に書かれた戦意高揚調のものでしたので、敗戦で急遽、街頭慰問隊から劇場に置き換えたそうです。
 
 さて今日は、9時15分から志津保育園が、9時30分からは志津幼稚園がそれぞれ運動会を開催されますので出席をし、可愛い園児さんたちに激励の拍手を送りたいと思います。大型で非常に強い台風19号の接近も気になりますが、何とか今日はお天気の方も崩れることはなさそうですので関係の皆さんはホッとされているのではないでしょうか!?
 
 本日は、昼間に親戚宅を訪問することになっています。19時からは町内の役員会が開会されますので出席をさせていただく予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 全日本寝具寝装品協会(以下JBA)は、2010(平成22)年より10月10日を『ふとんの日』として新たに定めたそうです。
 
 健康志向の高まりとともに、上質な眠りを求める方々が増えています。人が健康を維持するためには、食事(栄養)と適度な運動、睡眠が大変重要です。
 
 毎日の健康を支える快適な眠りを得るために、ふとんの果たす役割には大きなものがあります。
 
 そこでJBAでは、日常生活でのふとんのお手入れなどの知識を身に付けていただき、年に一度は「ふとんの健康診断」を行っていただく意識を浸透させようと10月10日を『ふとんの日』として定めています。
 
 毎日使うふとんを見直すことで、買い替えを促すだけでなく、環境にやさしい3R(リデュース、リユース、リサイクル)や、ふとんの選び方・お手入れ方法などの普及に努めているそうです。
 
 さて今日は、9月定例会議の閉会日です。9時30分から議会運営委員会、10時からは、本会議が開会され各委員長報告の後、採決が行われることになっています。

 本日は、閉会後に佐野会派代表と一緒に定例会議閉会に際しての記者会見に同席する予定です。また、12時からは会派政調会、13時からは、滋賀県難病対策推進議員連盟の総会も開催されることになっていますので昼休み返上で頑張ります。
 
 更に、14時からは会派の視察研修や定例会議の反省会も予定されていますので併せて出席をしたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 幕張メッセは、千葉県千葉市美浜区にある、株式会社幕張メッセが運営する大型の会議・展示施設です。
 
 千葉県が所有する国際展示場と、株式会社幕張メッセが所有する国際会議場と幕張イベントホールからなっており、幕張メッセのメッセとは、ドイツ語の“見本市”の意味を指す“Messe”に由来しているそうです。
 
 1989(平成元)年10月9日オープン当時、東洋一の規模、日本初の一体型冷暖房完備のコンベンション施設として開業しました。
 
 現在は、東京国際展示場(東京ビッグサイト)に次ぐ国内2番目の規模となっています。2006(平成18)年1月15日東京オートサロン開催中に、通算来場者数が1億人を突破しました。
 
 運営している会社の社名は、当初は株式会社日本コンベンションセンターでしたが、2005(平成17)年7月1日より社名を株式会社幕張メッセに変更されました。
 
 さて今日は、9月定例会議の閉会を明日に控え、事務局の皆さんは諸準備に忙しくされていることと思います。我々議員は、各議案や意見書・請願の賛否状況についてしっかりと確認しておきたいと思います。
 
 また、明日の定例会議閉会後に予定されている会派政調会、難病議連の総会、その後の会派による県内視察等の行程を確認しておきたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 日本歯科技工士会が創立50周年にあたる2005(平成17)年9月に制定されました。「入(1)れ(0)歯(8)」の語呂合わせからとしています。同法人は、この日に入れ歯や差し歯などの歯科技工技術をPRしています。

 こうして入れ歯のおかげで世の老人達は美味しく食事が食べられる、楽しく会話が出来ます。歯が無いと発声もしにくくなるのですが、入れ歯がある事によって楽しく会話する事が出来るようになります。その『入れ歯』に対して感謝しようということで制定されたそうです。歯科技工士会のHPによれば入れ歯だけではなく歯科技工技術に感謝する日でもあるようです。

 この日に合わせ、歯科技工という職業や歯科医療と口腔保健の重要性を知っていただく情報発信事業として、市民公開講座などが開催されています。初めてわかる口の機能、食べることの意味、入れ歯の機能の大きさに驚くとともに感心したいと思う次第です。
 
 入れ歯は顔立ちを整えることもあり、体の一部でもあるとされています。この入れ歯感謝デーを機会に、歯科医療が我々の暮らしにとってより身近なものとなることを期待したいと思います。
 
 さて今日は、10時から広域行政対策特別委員会が開会されますので出席をします。関西広域連合議会での取り組みをはじめ、8月の委員会開催時から今日までの間の動きについて報告が予定されていると同時に、今後の委員会での審査事項について協議されることになっています。本日は、委員会終了後に執行部から説明を受けることになっています。
 
 さて、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 四十日抗争は、1979(昭和54)年に起きた自由民主党内の派閥抗争のこととされています。自民党史上最大の危機といわれました。1979(昭和54)年10月7日の第35回衆議院議員総選挙における自民党の敗北から、11月20日の第2次大平内閣の本格的発足までの約40日の間、自民党内で抗争が行われたためこの名が残っています。

 1979年の衆議院選挙で自民党は248議席しか獲得できず、前回1976(昭和51)年の衆議院選挙の獲得議席249議席を下回りました。1976年当時、党総裁だった三木武夫氏は選挙結果を受け辞任に追い込まれており、当然のごとく大平正芳総裁への責任を問う声が上がりました。

 しかし大平総裁は、田中角栄氏の支えもあり、続投を表明しました。そのため、大平政権下で反主流派となっていた福田派・中曽根派・三木派・中川グループは辞任要求を強めました。主流派の大平派と田中派は中道政党との連立政権を模索し、反主流派は最終手段として自民離党、新党結成を画策するなど、党内は修復不可能なまでに分裂しました。

 自民党は首相候補が一本化できないために、国会を開会することができませんでした。日本国憲法第54条の規定による国会開会の期限が迫ってきたので、10月30日に特別国会を開会するも、開会日は首相指名投票なしで散会という異常事態となったそうです。
 
 一応その年内には第2次大平内閣はスタートしましたが、結局この対立感情はその後も依然としてくすぶり続け、翌年のハプニング解散につながることになりました。

 さて今日は、9月定例会議も終盤に入り、今日・明日の特別委員会での審査を残すところとなりました。私の所属する委員会は明日の予定ですので、本日は来年度の事業のことで、南部土木事務所と草津市役所へ伺う予定をしています。
 
 夕方からは、議連の協議が予定されており、終了後には懇親の場も準備されている模様です。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 鳥取県西部地震は、2000(平成12)年10月6日13時30分18秒(金曜日)、鳥取県西部を震源として発生したM7.3の地震です。地震空白域とされる地域で発生し、気象庁はこの地震を平成12年鳥取県西部地震と命名しました。
 
 1996年の震度階級改正以来初めて震度6強を記録しました。マグニチュードが7を超す大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなりましたが救助され、死者は有りませんでした。
 
 これは、震源地が山間部であったこと、市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことも挙げられています。
 
 鳥取県では、この地震の二ヶ月前に震度6強の震災が鳥取県西部で発生することを想定して防災訓練を実施しており、訓練の成果として地震発生から10分後には行政および消防当局が対策を実施することができたとしています。
 
 しかし、境港市街の液状化を始め、日野町、米子市などで住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は顕著でした。また震源地が大山にほど近い事もあり大山の噴火も懸念されましたがまったく火山活動は無く、津波も観測されていないとのことです。
 
 さて今日は、台風18号の通過情報も気になるところですが、10時から文教・警察常任委員会が開会されますので出席をすることになっています。午前7時の段階で、JR琵琶湖線が運休の場合は日時を変更しての開会が予定されています。
 
 皆様には、交通機関の乱れも予想されますので、お車の運転を始め、通勤や通学には十分お気を付け下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 詩人・彫刻家である高村光太郎氏の妻、高村智恵子さんの命日が今日、10月5日です。
 
 なぜこの日が「レモンの日」となったのか、それには深く悲しいエピソードが隠されています。光太郎氏と智恵子さんは幸せな結婚生活を送っていましたが、1929(昭和4)年に実家が破産したことをきっかけとして智恵子さんは精神を患い、自殺未遂や奇行を繰り返すようになりました。
 
 光太郎氏はそんな妻に胸を痛めながらも詩をしたため、看病をつづけます。ついに入院せざるを得ないほど智恵子の病状は悪化し、さらに肺結核まで患った1938(昭和13)年の10月5日。光太郎氏が持っていたレモンをかじった智恵子さんがふと正気に戻り、微かに微笑み、そのまま静かに息を引き取ったそうです。
 
 その最期の瞬間を詠ったのが、かの有名な「レモン哀歌」です。亡き妻・智恵子さんとの出会いから幸せな結婚生活、そして精神異常を患ってから亡くなるまでのことが描かれた詩集「智恵子抄」は、映画やドラマなどさまざまな創作の題材となっています。
 
 さて今日は、朝から少しずつ雨が降る出して参りました。本来であれば8時50分から渋川学区の大運動会が予定されていましたが台風接近のため中止となりました。
 
 その大型で非常に強い台風18号は5日午前、奄美大島の東海上を北上しています。今夜にかけて四国沖に進み、明日未明から午前に紀伊半島や東海、関東の沿岸にかなり接近するか上陸する可能性が高いと予想されています。
 
 皆様には今後の台風情報に十分ご注意下さい。私は、今日は自主防災に努めたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 証券投資の日は、日本で株式・投資信託を始めとする投資活動に関する知識を、広く一般に普及・啓蒙する事を目的に、1996(平成8)年より、10月4日に設定されています。単に投資の日とも呼ばれています。
 
 10月4日に設定されたのは、“104”を“投資”(とうし)の発音に掛けた語呂合わせからとされています。
 
 現在、証券投資の日の前後の開催されるイベントを含め、証券投資や金融商品への一般投資家への知識普及・啓蒙活動は、日本証券業協会も属する「知識普及プロジェクト」が行なっています。
 
 この日を契機にとして、投資の経験や金融知識の有無などに関係なく、より多くの人に「投資」を身近に感じていただきたい、という願いから制定されたそうです。
 
 さて今日は、大型台風の接近が気になるところですが、天気予報は、終日晴れとのことですので、地元の小学校では運動会が予定されています。
 
 8時30分からは志津南小学校が、8時40分からは志津小学校がそれぞれ開会予定です。いずれの小学校にも開会時刻に参列したいところですが、移動時間を考えると適いません。
 
 そこで、先ず志津小学校の運動会の開会式に出席をさせていただき、その後に志津南小学校の運動会にプログラムの途中からですが子供達の激励に伺いたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1971(昭和46)年10月3日(水)、東京都八王子市が毎週水曜日に、大気汚染の抑制と交通渋滞の緩和を目的に、自動車利用を自粛する「ノーカー運動」が実施されました。
 
 日本初の「ノーカーデー」の開始で、その時のスローガンが「交通戦争一日休戦の日」だったそうです。
 
 近年では公共交通機関の一日乗車券の発行や夜間を中心にした臨時バスの運行を行うなど、様々な取り組みが進められているそうです。一方、実際に実施する自治体や企業、利用者数がまだ少ないことなど、今後の課題になっています。
 
 現在、地球温暖化の原因の一つとして、自動車から排出された二酸化炭素(CO2)が大きな問題になっています。ガソリン1リットルで、1リットルの牛乳パック118本分の二酸化炭素を排出しています。

 これは、家庭照明の15〜30日分にも相当しています。地球のために、健康のために、自転車通勤も増えて来ましたが、若者の間でブレーキがない自転車が増え、車が注意しても飛び込まれたりしたら大変です。

 秋は太陽が出ている時間が短くなり、あっという間に日が暮れてしまいます。みなさん安全で快適な自転車通勤を楽しんで下さいとしています。
 
 さて今日は、9時30分から事前打ち合わせが予定されています。10時からは、文教・警察常任委員会が開会されますので出席をさせていただきます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1985(昭和60)年10月2日、関越トンネルが貫通し、東京〜新潟間の関越自動車道が全通開通しました。
 
 関越自動車道は、東京都練馬区の練馬ICから埼玉県・群馬県を経由して、新潟県長岡市の長岡JCTへ至る高速道路です。
 
 練馬ICから本庄児玉ICまで国道254号、本庄児玉ICから長岡JCTは国道17号がほぼ並行しています。

 三国山脈を貫いて東京と新潟県を結ぶ高速道路であり、上越新幹線とともに首都圏と日本海側を結ぶ高速交通網として重要な機能を持っています。
 
 また、藤岡JCTから上信越自動車道(関越自動車道上越線)が分岐しており、首都圏と長野県北信地方・東信地方を結ぶ高速交通網の一部でもあります。

 日本有数の豪雪地帯を貫いており、沿線(上越エリア)には多くのスキー場が存在し、首都圏とこれらのスキー場を結ぶ高速道路でもあります。
 
 さて今日は、明日からの常任委員会に備えて各議案の熟読日になっています。私の所属する文教・警察常任委員会でも、明日からの委員会に向けて説明資料が昨日配布されましたので、しっかりと熟読したいと思います。
 
 ところで、一昨日の一般質問で、県庁周辺の開発をめぐって、今日まで県は「にぎわいの創出」としていましたが、本年に入って方向転換したことが明らかになりました。
 
 私も、このことで、委員会や県議会での一般質問の場を通じて何度となく質してきただけに、今までの県側の答弁はなんだったのかと執行部の議会軽視を感じると同時に明日からの対応が気になります。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 日本では当たり前のように使われている印鑑ですが、ほかの国ではあまり使われなくなってしまいました。歴史をひも解いてみると、もっとも古いものは紀元前4000年ごろの古代メソポタミア時代に存在し、現在の印鑑、印章と同じ用途かどうかは不明ですが、認証の道具として使われていたようです。
 
 そこまで古い歴史のある印鑑、印章文化なのですが、日本には「いつ伝わってきたのか」については、はっきりした文献などが残っていないため分からないそうです。印鑑が日本の歴史の中に初めて現れるのは、有名な金印である「漢委奴国王」と彫刻された印鑑です。漢の光武帝が中元2年に授けたと、中国の史書の一つである後漢書に記録されています。
 
 実際に使われ始めるのは、奈良時代の律令制が整ってからになるといわれているため、701年あたりからと思われています。この頃の印鑑は、個人で持てるものではなく、所有どころか製造に至るまで、許可がなければ持てなかった様子です。
 
 現在のように誰でも使えるようになったのは、明治時代に入ってからとされています。そして、明治6年の10月1日に太政官布告が制定されたことにより、公式の書類には実印を押すように定められたことから、署名捺印という文化が定着するようになったとのことです。太政官布告が制定された日を記念して、全日本印章業組合連合会により、10月1日を印章の日、はんこの日と呼び、記念行事が行われるようになりました。
 
 さて今日は、一般質問4日目(最終日)です。10時から開会され、我が会派からは野田議員と小寺議員が立たれます。本日は、終了後に決算特別委員会も開会されることになっています。
 
 ところで、今日から10月に入りました。本格的な秋の訪れとともに、地域での秋の恒例行事も本番を迎えます。今週末も小学校や地域の運動会のご案内を数多くいただいております。少しでも顔を出して、ご参加の皆様に激励のご挨拶をさせていただく予定をしています。皆様は、秋の楽しみといえば何を想像されますか!?スポーツあるいは読書でしょうか?それともやはり食欲でしょうか!? それぞれの秋を十分お楽しみ下さい。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!