奥村よしまさホームページ|トップページ
奥村よしまさホームページ|私の考え
奥村よしまさホームページ|プロフィール
奥村よしまさホームページ|事務所・後援会
奥村よしまさホームページ|よしまさ日記
奥村よしまさホームページ|リンク
奥村よしまさホームページ


 2004(平成16)年6月30日、不可能の代名詞として有名な「青いバラ」の開発に世界で初めて成功したとサントリーが発表しました。バラはクレオパトラやローマ皇帝ネロはじめ古くから世界で最も愛されてきた植物です。現在栽培されているバラのほとんどは、世界各地の野生種のバラ8種程度を人為的に掛け合わせることにより生み出されました。
 
 四季咲きのバラ、黄色やオレンジのバラも、長年の人工交配による品種改良の結果、誕生したものです。ナポレオンの妃ジョゼフィーヌが自分のマルメゾン宮殿の庭で人工交配をさせ、たくさんの品種を生み出したことは有名で、これらのバラが多くの現在のバラのルーツになっています。
 
 青いバラを作ろうという努力もされてきましたが、多くの青い花に含まれる青色色素を作る能力がバラにはないため、いくら交配を繰り返しても実現には至りませんでした。このため、Blue roseは、「不可能」「存在しないもの」の意味も持つほどです。
 
 「幸せを象徴する青い花を作って世の中を明るくしたい、勇気づけたい」、「バイオテクノロジーを用いればバラで青色色素を合成させることができ、青いバラができるはず」、「サントリーのDNAであるやってみなはれにふさわしい」。これが夢への挑戦の始まりでした。
 
 1990(平成2)年にこの研究プロジェクトをスタートし、14年の年月を経て、2004(平成16)年のこの日にようやく開発の成功を発表。「青色色素が花びらに存在する、世界初の青いバラの誕生」と大きな反響を呼びました。2009(平成21)年から「サントリーブルーローズ アプローズ」(花言葉「夢 かなう」)として好評発売中だそうです。
 
 さて今日は、9時から本部の事務所当番ですが、9時30分からJA草津市本店と、草津駅東口の2箇所での警察の皆さんとの事前協議(実査)が予定されていますので、少し遅れての出席となりそうです。
 
 13時からは、第3選挙区の選対会議が召集されましたので、こちらにも出席をすることになっています。更に、15時からは本部の選対会議が開催されますので出席をします。選挙戦も5日目に入り、ますます総力戦の様相を呈して参りました。「こやり」陣営も、出来ることはみんなやろうを合言葉に全力で頑張りたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1990(平成2)年6月29日、礼宮文仁親王が川嶋紀子様と結婚され、秋篠宮家を創設されました。今年で、24年目をお迎えになります。
 
 宮号は、和歌の歌枕として有名な奈良県奈良市の「秋篠」に由来しています。なお宮号の候補には、常陸宮の宮号の由来のように、かつての親王任国である関東の令制国名(上総国、上野国)を由来とした“上総宮(かずさのみや)”、“上野宮(こうずけのみや)”などが挙がっていたともいわれています。
 
 宮号に秋篠が選ばれたことで、同地が話題となったことを記憶しています。特に、秋篠寺の技芸天像が文仁親王妃紀子に似ているとも言われました。
 
 成婚以来、同妃紀子様とともに地道に公務を果たされています。特にインドネシア・タイなどの東南アジア諸国を公私ともによく訪問し、タイ王室とも交流が深いようです。
 
 1991(平成3)年10月23日、眞子内親王が誕生されました。1994(平成6)年12月29日には、佳子内親王が誕生されました。しかし、兄宮・皇太子および同妃に遠慮すべきとのバッシングや批判があったとされ、以降は長らく子を儲けなかったこともそのことが伺えます。
 
 その後の2006(平成18)年9月6日、皇室史上初の帝王切開により悠仁親王が誕生されました。皇室においては文仁親王自身の誕生以来、実に41年ぶりの男系男子誕生とされています。
 
 さて今日は、8時からお昼までの予定で「こやり」候補の選挙車が草津市内を遊説されることになっていますので、先導車に搭乗することになっています。午後からは、草津事務所にて今後の選対について協議をすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1979(昭和54)年6月28日、第5回先進国首脳会議(サミット)が東京で開催されました。日本で開催された初めてのサミットに位置づけられています。

 このサミットは、発足時の名称は「先進国首脳会議」と呼ばれていました。冷戦下の1973(昭和48)年のオイルショックと、それに続く世界不況に起源を持っています。これらのトラブルによってアメリカでライブラリーグループが生まれました。これは当時の「西側諸国」に属しています。“民主主義”国であるヨーロッパ、アメリカ、日本の財務を預かる政府高官が集まり、経済的課題を討議する会議とされています。

 1975(昭和50)年に、フランス大統領は工業化された4つの主要民主主義国(米・英・西独・日)の首脳をフランス・ランブイエに招待し、フランスを含めて5カ国ではじめての首脳会議を開催し、定期的に首脳会議を持つことを提案しました。

 このときの出席者は、主催国を交代しつつ年1回会議を持つことに合意しました。こうしてフランス、アメリカ、イギリス、西ドイツ、日本で構成されるいわゆる「G5」が生まれました。

 しかし、これを不服としたイタリアの首相が第1回会議に乗り込んで来た為、イタリアを加えG6となったことは有名です。しかし、これでは欧州に偏る為、翌年のプエルトルコの首都サンフアンでのサミットでアメリカのフォード大統領の要請によりカナダが参加したことにより、「G7」となりました。今日では、ロシアを加えたG8となっています。

 さて今日は、選挙戦も3日目を迎えました。本日は、確認団体(ふるさと滋賀を元気にする会)の車が終日に亘り第3選挙区に入って来ますので、その対応も含め、元気に選挙活動をしたいと思います。

 13時からは、第3選挙区の担当者会議が招集されています。まだまだ何の選挙なの!?と問われる方もおられます。しっかりと、滋賀県知事選挙とアナウンスしたうえで、「こやり」候補への投票を呼びかけていきたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日(6月27日)は、「女性雑誌の日」とされています。1693(元禄6)年に、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディース・マーキュリー』が創刊されたことによるそうです。
 
 ところで、日本初の女性雑誌はなんだろうとちょっと調べてみたところ、どうやら、平塚らいてう:本名平塚明(はる)等が、1911(明治44)年に創刊した『青鞜(せいとう)』のようでした。
 
 この頃の女性は、民法他の法律により、家父長制に従属させられ、政治活動も禁止されていましたが、その反面この時代には、女子大学や専門学校が増設され、女性の知的水準も向上し、社会に出て働く女性も増えてきました。
 
 そして、自分が置かれている立場に不満を抱き、自ら表現の場を求める女性も出てきました。そうした女性だけで作られた雑誌がこの『青鞜』です。「青鞜」はその名前からして「女らしからぬ」名前でした。18世紀のイギリスのサロンで芸術や化学を論じ女権を声高く唱えた新しい女性達が、黒い靴下が常識とされた当時青い靴下(ブルーストッキング)をはいていた故事に倣ったものとされています。
 
 この創刊の辞に揚げられた平塚らいてうの「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である…」という言葉は、当時の女性たちに大きな衝撃を与えました。
 
 さて今日は、選挙戦2日目です。まだまだ序盤戦、県内を行程に沿ってご本人は夢中で駆け抜けています。どうか皆様も、「こやり」さんの選挙カーが参りましたら、「がんばれー」のご声援をお願い致します。
 
 我々も、本部や各選挙区支部を結んでの後方支援にしっかりと務めたいと思います。本日も担当者会議や選対会議が招集されていますので、出席する予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1987(昭和62)年6月26日、国連総会が薬物乱用なき国際社会という目標の達成に向けてさらなる行動と協力を促進する決意の表明として決定しました。
 
 東京においては、米国に本部を置く非営利団体、薬物のない世界のための財団の日本支部である日本薬物対策協会によって、6月5日と6日に代々木公園、6月26日に六本木交差点において、およそ4,000部の薬物に関する情報が満載された教育小冊子「真実を知ってください:薬物」を街頭で人々に配布を行い、大きな反響を呼びました。
 
 最近では、脱法ハーブによる事件・事故が問題となっていますが、販売する方も積極的に取り締まる必要性を感じます。若者が、こうした麻薬などに手を出すことのない社会を築かなくてはなりません。
 
 教育者や保護者、地域のリーダーなどが自ら薬物の真実を学び、家庭や地域、教育現場において青少年にその知識を繰り返し伝えることによって、「薬物にNO!」という合意を社会に広めることに必ずつながるはずと思います。
 
 学校を離れて開放感も大きくなる夏休み前に、ぜひ関係者に青少年への薬物教育に一層力を入れていただきたいと願っています。
 
 さて今日から、滋賀県知事選挙が始まりました。7時からは、膳所の平野神社において必勝祈願の参拝が挙行されますので、参加をして参ります。
 
 9時からは、滋賀県庁前にて「こやり」陣営の出陣式が行われますので第一声に立ち会いたいと思います。更に、11時からは、草津駅東口(近鉄百貨店前)にて第3選挙区の出陣式が行われますので、私は司会進行を務める事になっています。本日は、自民党の石破幹事長が応援に駆けつけて下さいます。

 午後からは、こやり選対事務所に選挙はがきの対応のため伺うことになっています。ご覧のように来月13日の投票日に向けて選挙モード全開で元気に駆け抜けて参りますので、皆様のご賛同を心からお願い致します。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2000(平成12)年6月25日、雪印集団食中毒事件として最初の被害者が発生しました。

 雪印集団食中毒事件とは、2000(平成12)年6月から7月にかけて、近畿地方を中心に発生した、雪印乳業(現:雪印メグミルク)の乳製品(主に低脂肪乳)による集団食中毒事件とされています。
 
 本事件は、認定者数14,780人の、戦後最大の集団食中毒事件となりました。
 
 雪印乳業大阪工場で製造された「雪印低脂肪乳」を飲んだ子供が嘔吐や下痢などの症状を呈しました。6月27日に大阪市内の病院から大阪市保健所に食中毒の疑いが通報されました。6月30日に保健所から大阪工場に製品の回収を指導されました。

 この頃には各地から食中毒の情報が入ってきていましたが、大阪工場は言を左右にして応じようとしませんでした。6月29日に事件のプレス発表と約30万個の製品の回収が行われたが、既に対応が遅れ、プレス発表後は被害の申告者が爆発的に増え、大阪府・兵庫県・和歌山県など広範囲に渡って被害者が発生するという前代未聞の集団食中毒に発展し、世間を震撼させました。

 被害者の訴えた症状は嘔吐・下痢・腹痛であり、総じて比較的軽いものでありましたが、入院に至った重症者もいました。
 
 さて今日は、9時から定期健診のため病院へ行くことになっています。午後からは、選挙関係の書類を整理したいと思います。14時からは、事務所で来客対応したいと思います。
 
 今夜は、19時から志津小学校に於いて、志津地区教育振興会の理事会が開催されますので出席をさせていただきます。今年も地域の皆様に、子供達へのご支援をお願いしたいと考えています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1987(昭和62)年6月24日、北海道の釧路湿原が国立公園に指定されました。釧路湿原は、北海道釧路平野に位置する日本最大の湿原であり、面積は18,290haあるそうです。
 
 湿原は、釧路市の北側に広がっています。湿原の大半は、北海道川上郡標茶町と阿寒郡鶴居村、釧路郡釧路町に属しています。湿原の中を釧路川が大きく蛇行しながら流れているのが特徴となっています。
 
 湿原の大部分は、ヨシースゲ湿原ですが、ミズゴケ湿原も一部あり、食虫植物のコウセンゴケやコタヌキが生育しています。また、タンチョウやエゾセンニュウ、ベニなどの多くの鳥類の繁殖地・休息地となっています。特にタンチョウの夏季繁殖地が湿原を含む道東各地に広がっていますが、冬には釧路湿原へ戻ってきて越冬します。また、日本最大の淡水魚であるイトウ(サケ科)やキタサンショウウオなどの希少な動物も多く、貴重な自然の残る領域とされています。
 
 1万年前までの氷河期には、地球上の水が氷河として大量に地上に堆積したため海水量が減って海水面が低下し、釧路湿原一帯も完全に陸地化していました。その後気温が上昇して海水面が上昇したが、約6000年前には気候が現在より温暖化し海水面も今より2から3m高くなったそうです。
 
 さて今日は、告示日まで2日となって参りましたが、9時から13時までこやり事務所の当番のため事務所に詰める予定です。13時30分からは事務所にて面談を予定しています。また、草津事務所にも伺う予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 足利事件は、1990(平成2)年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店で行方不明となった女児(当時4歳)が、翌日、パチンコ店近くの渡良瀬川の河川敷で死体で発見された事件です。
 
 犯人のものと推定される体液が付いた女児の半そで下着も付近の川の中で見つかり、わいせつ目的の誘拐・殺人事件とされました。足利市ではこの事件の前、2件の女児殺人事件が起きていたこともあり、栃木県警は180人態勢で徹底した捜査を進めました。

 幼稚園の送迎バスの運転手だった菅家利和さんを疑い、DNA鑑定の結果を待って、1年半後に県警は、尋問の末、犯行を認める「自白」を引き出し、誘拐と殺人、死体遺棄の容疑で逮捕しました。
 
 菅家さんは第1審の途中から否認に転じましたが、宇都宮地裁は無期懲役の判決を言い渡し、東京高裁も控訴を棄却し、最高裁判決で有罪が確定しました。
 
 菅家さんは、宇都宮地裁に再審を請求。地裁は請求を棄却したが、即時抗告による東京高裁での審理でDNA再鑑定が認められ、再鑑定結果を受け、東京高検は菅家さんを刑務所から釈放し、2009(平成21)年6月23日、東京高裁は再審開始を決定しました。
 
 菅家さんによれば、足をけったり、机をたたいたりする乱暴な取り調べが行われた結果、虚偽の自白を強いられた経験から、布川事件など他の冤罪被害者らとともに、取り調べの全面可視化を求めています。再審公判は、2010(平成22)年3月26日に無罪判決が言い渡されました。
 
 さて今日は、告示を3日後に控え、7時から南草津駅での駅立ちからスタートしたいと思います。本日は16時から第3選挙区選挙対策会議が開催されますので出席を予定しています。
 
 昨日の本部選対会議では、無党派層への浸透が大きな課題との報告があり、特に我が選挙区では最重点の対策が必要とされています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 製造物責任法が、1994(平成6)年6月22日に成立しました。この法律は、翌年7月1日から施行されました。製造物の欠陥により損害が生じた場合の製造業者等の損害賠償責任について定めた法規とされていますが、形式的意義においては、上述の損害賠償責任について規定した日本の法律とされています。製造物責任という用語に相当する英語の(product liability)から、PL法と呼ばれることがあります。

 損害賠償責任を追及する場合、民法の不正行為法における一般原則によれば、要件の一つとして加害者に故意・過失があったことにつき被害者側が証明責任を負うことになっています。つまり民法で損害賠償を請求する際には、被告の過失を原告が立証する必要があります。

 しかし多くは、過失の証明が困難であるために損害賠償を得ることが不可能になる場合があるとの問題意識から、同法で製造者の過失を要件とせず、製造物に欠陥があったことを要件とすることにより、損害賠償責任を追及しやすくしました。このことに製造物責任の意義があるとされています。

 無過失責任としての製造物責任に関する扱いとしては、まず、1960年代初めのアメリカで、過失を要件としない厳格責任の一類型として判例で確立されました。また、ヨーロッパでは製造物責任の扱いについて各国でかなりの差異がありましたが、その均一化を図る必要があるとして、1985年に当時のEC閣僚理事会において製造物責任に関する法律の統一に関する指令が採択され、その指令に基づき各国で製造物責任に関する立法が導入されました。

 さて今日は、告示まで4日となり、9時からは第3選挙区事務所(草津事務所)の事務所開きの神事が行われます。その直後に草津市民体育館では、志津地区体育振興会主催によります、ソフトバレー大会が開催されますので、参加をさせていただきます。

 本日は、第3選挙区の総力を挙げて、4市の新興住宅地域へのポスティング作戦を実施することになっています。15時からは、大津市民会館に於いて、こやり隆史氏の総決起大会が行われますので皆さんと共に参加をさせていただきます。終了後の17時からは、こやり事務所で選挙対策会議が召集されていますので出席をします。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 自民党の中堅・若手議員であった武村正義、田中秀征、園田博之、鳩山由紀夫らが中心となり、1993(平成5)年の宮沢内閣不信任決議可決(嘘つき解散)をきっかけに離党し、6月21日に結成されたのが「新党さきがけ」です。

 自民党内の改革グループで政界浄化やリベラルな政治改革を訴えていたユートピア政治研究会を母体とし結党されました。なお、不信任決議案については研究会のメンバーの多くは反対票を投じていました。
 
 他方で不信任案に賛成していた小沢一郎らは当初離党の意志はなく、党内で改革運動を継続するつもりでしたが、不信任に反対した武村氏らが離党したことから、自身も離党を決心したとされています。したがって、さきがけの結党は非自民政権誕生に至る後に政界再編の引き金を引くことになりました。

 続く第40回衆議院総選挙を経て成立した非自民細川連立政権に参加後、羽田政権では閣外協力に転じたものの、自民党が政権復帰した村山政権に参加し、続く橋本政権まで政権の一角を担いました。

 中心メンバーは自民党単独以降、非自民連立政権、自さ社村山政権、同橋本政権と、性質の異なるいくつもの政権にほぼ一貫して与党として参加していたことになり、小政党ながら巧みな政界遊泳で政界再編期に強い存在感を放ったとされています。

 途中日本新党新さきがけ派(反小沢派)など各会派の合流を受け入れて党勢を拡大しましたが、1996(平成8)年頃からメンバーの離脱が相次ぎ、2002(平成14)年1月16日、みどりの会議への名称変更という形で正式に解党しました。

 さて今日は、9時から草津事務所にて打ち合わせをすることになっています。12時30分からは、草津市の看護研修センターに於いて、平成26年度看護連盟通常総会が開催されますので出席をさせていただきお祝いをお伝えしたいと思います。もちろん“こやり”立候補予定者も同席されます。明日には、草津事務所の事務所開きも行われますので準備作業もお手伝いしたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 日本列島改造論は、田中角栄元首相が自由民主党総裁選挙を翌月に控えた1972年(昭和47年)6月11日に発表した政策綱領、およびそれを現した同名の著書であり、略して列島改造論とも言われました。
 
 田中氏はこの「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進すること」を主旨とした事実上の政権公約を掲げて同年7月の総裁選で勝利し、内閣総理大臣となりました。

 この『日本列島改造論』は1972年(昭和47年)6月20日に日刊工業新聞社から刊行され、田中が総理の座を射止めたこともあって当初91万部を売り上げ、年間第4位のベストセラーとなりました。
 
 この著書には、日本列島を高速道路・新幹線・本州四国連絡橋などの高速交通網で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密の問題と公害の問題を同時に解決する、などといった田中の持論が、イタリアやアメリカの例を引いて展開されています。
 
 さて今日は、告示日まで6日と迫って参りましたが、9時から17時まで終日にわたり、武村代議士と市内企業への挨拶回りを予定しています。

 更に、19時からは、栗東市の“さきら”に於いて、第3選挙区の決起大会が開催されます。知事選立候補予定の「こやり隆史」さんと県議選補選立候補予定の「竹村やすし」さんの激励が行われることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日(6月19日)は、ベトちゃんドクちゃん初来日の日とされています。私たちにとって1番馴染み深いベトナム人は、ベトちゃんドクちゃんではないでしょうか。
 
 二人を治療した医師によると、「こういう子がわが国で生まれたということは、ベトナム民族としての大きな精神的災害だったと思っています。それまでのベトナムの歴史の中に、こういう奇形児はいませんでした」と語っています。

 二人は、1981(昭和56)年2月25日、ベトナム中部高原のコントゥム省サータイで生まれました。この地域はベトナム戦争下で枯れ葉剤がアメリカ軍により多量に散布された地域です。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれました。
 
 2人とも死亡してしまう事態を避けるため、1988(昭和63)年10月4日にホーチミン市の病院で分離手術が行われました。この手術は日本赤十字社の支援で、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供され、17時間に及ぶ大手術は成功し、二人は7歳にして別々の人生を歩み始めたのです。
 
 後に、ベトちゃんは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続きましたが、2006(平成18)年12月16日、ドクちゃんはボランティア活動で知り合った専門学校生の女性と結婚し、兄ベトを引き取り夫婦で介護していました。
 
 2007(平成19)年10月6日、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去しましたが、2009(平成21)年10月25日、ドクの妻は、男女の双子を出産し現在も健在だそうです。
 
 さて今日は、選挙戦での遊説日程の調整と行程の確認作業をすることになっています。先日の対策会議では、各選挙区ごとの対応をお願いしていますので、それぞれの状況を把握することになりそうです。皆さん、気合十分です・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1969(昭和44)年6月18日、海上保安庁によって海底地形図が完成され公表されました。
 
 私たちがふだん目にする地形は陸上のものであり、水面下の地形がどうなっているのかは、あまり知ることが出来ませんでした。
 
 海底地形といえば、大陸棚とか海溝といった大きなスケールで扱われるか、もしくは、最近では海底活断層調査の話題を聞く程度でした。
 
 実際、自分の居住地近くの海面下にどのような地形が広がっているのか知らない人がほとんどだろうと思います。なにしろ海の上からは見渡すことができないのだから仕方ありません。
 
 この海域の海底地形について知るには、国土地理院による沿岸海域地形図、海上保安庁による海底地形図および海図の三種類の地図があります。
 
 地形についての情報を得るには、沿岸海域地形図や海底地形図(2mごとの等深線が描かれている)が適しているそうですので、海上保安庁の示した海底地形図は重要視されています。
 
 さて今日は、午前10時から、広域行政対策特別委員会が開催されますので出席を予定しています。終了後の13時からは、草津市内の企業への挨拶回りを予定しています。
 
 告示まで、1週間と迫って参りましたので、おのずと熱も入ってまいりました。我が陣営への懸命のご支援とご賛同をお願いして参ります。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1997(平成9)年6月17日、臓器移植法案が成立しました。この法立は、「臓器を必要とする人がいる。臓器を提供したいという人がいる。そして臓器移植の技術もある。こうした状況のもとで移植医療を妨げる権利は誰にもない」という考えに基づく「本人意思表示原則」に立つ法律とされています。
 
 これに対して改正法(2009(平成21)年の改正法)は、「小児の心臓移植もできず、提供臓器数もあまりにも少ない。何とかして小児臓器移植を可能にし、提供臓器数を増やさなければならない」という考えに基づく「家族・遺族意思表示原則」に立つ法律に変わりました。
 
 この小児臓器移植への道の開拓および提供臓器数増加という至上命題に応じるため、2009年法では、1)脳死判定および臓器提供に関する、本人意思が不明の場合の家族・遺族の意思表示、2)親族への優先提供、が認められることになりました。
 
 また、一般には、3)「1997年法は『移植に向かうときに限って脳死を人の死』としていましたが、2009年法は『移植の有無に関わらず、脳死は一律に人の死』とする法律に変わった」と受け取られています。法の解釈という点では、1)および2)について異論はありません。しかし、3)については異論がありましたので、この点を中心に検討されました。
 
 3)については依然として国民の間で正しい理解が得られているか疑問があるとされていますが、2009年の参議院での法案成立時に厚生労働委員長を務めていた辻泰弘氏が、2010年7月21日付朝日新聞「私の視点」へ「改正臓器移植法『脳死は一律に死』は誤解」との意見を投稿しました。以来、臓器移植については、各方面での議論が寄せられているところです。
 
 さて今日は、8時30分からは、選挙戦告示日の出陣式の件で県警の方との事前協議が予定されています。私の担当は、草津駅東口ですので、直接現地にて打ち合わせをすることになっています。その後、膳所の事務所に草津市内の企業の推薦状を持参することになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1989(平成元)年6月16日、環境庁によって、巨木日本一が発表されました。鹿児島県姶良市蒲生町上久徳にある蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠は、樹齢約1,500年、根周り33.5メートル、目通り幹囲24.22メートル、高さ約30メートルと日本で一番大きな楠です。

 環境庁が、1988(昭和63)年に実施した巨樹・巨木林調査で、正真正銘日本一に認定されています。蒲生八幡神社が建立された1123年にすでに大木であったことから考えても、樹齢千年を超える堂々たる老木です。

 樹根部分には、大きな空洞があり、下から見上げる壮大さと、地にどっしりと根をはった力強さは、神秘的で不思議な感覚を抱かせてくれます。毎年11月第3日曜日には秋まつりが開催され、太鼓演奏の音が周囲に響きわたるそうです。

 この日本国内において全樹種の頂点に立つ巨樹は、先程も紹介しましたが日本一に恥じない堂々とした風格です。裏側にまわると、ぽっかりと大きな口を開けて、相当な広さの空洞を見ることが出来ますが、樹勢に影響はないようです。かつてはスロープであったところを土を盛って埋め立てたそうで、それ以前はどれほどの大きさであったのでしょう。近年、樹木医による治療が行われ、元気な姿をいつまでも見せてくれることを願っています。

 さて今日は、知事選の告示まで10日と迫って参りましたが、各陣営それぞれ準備に追われているのではないでしょうか。我が陣営も、昨日の支部全体会議を受けて、各部での細部にわたる確認作業をしなければなりません。

 私は、午前中に郵便局へ出向き、後援会員の皆様への案内を送付する手続きをしたいと思います。明日には、皆様のお手元に届くと思いますので、何卒宜しくご賛同いただけますようお願い申し上げます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 「6/15=オウム・インコ デー」は、日本動物園水族館協会の「種の保存会議」によって定められ、2006(平成18)年からはじまった記念日とされています。オウム(06)とインコ(15)の語呂合わせからだそうです。
 
 今や絶滅の危機にあることが、あまり知られていないオウムやインコたちのことをご存知でしょうか。そこで、毎年この時期には国内動物園のあいだで独自のキャンペーンが行なわれており、オウムやインコのピンチを知ってもらうための取り組みが行なわれています。
 
 オウムは、オウム目オウム科に属する21種の鳥の総称です。インコ科、ミヤマオウム科、ニュージーランド産の大型のインコとともにオウム目を構成しています。現存するオウム目の系統の多くは、さまざまな面で解明されていません。
 
 インコは、インコ科に属する約330種類の鳥の総称で、オウム目を構成するふたつの科のうちの一つとされています。インコはオウムよりも広く分布しており、アメリカ、アフリカ、アジア、オーストラリアとポリネシアに至る太平洋東方まで生息している種があるそうです。
 
 さて今日は、選挙対策の日程が組まれています。午前中に各部ごとの資料協議が組まれています。16時からは、クサツエストピアホテルにて選挙対策会議の全体会が予定されています。終了後の18時からは、第3選挙区事務所で選挙対策会議も開催されることになっています。いよいよ告示までのカウントダウンも始まってまいりました。
 
 来週早々には、私も後援会の皆様に報告をさせていただきたいと思います。多くの皆様にご賛同がいただけますよう、運動員心ひとつに取り組んで参りますので何卒ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 映画界は 1949(昭和24)年6月14日、「映画倫理規程」を制定し、この実施・管理のため「映画倫理規程管理委員会」を発足させました。これがいわゆる旧映倫と呼ばれる機関とされています。

 ところが、新しくできたこの機関は、業界内に設けられたものであり、また管理委員は業界内の映画関係者だけから選ばれていたこともあって、1956(昭和31)年に公開された「太陽の季節」をはじめとする、いわゆる一連の「太陽族映画」に対しては、その審査のあり方について新聞各紙から批判されるところとなり、ついには文部省(現・文部科学省)が規制のための法案を準備するまでに至ってしまいました。

 これを苦慮した映画界は、新たに「映倫管理委員会」を発足させました。現在の審査の実務は、委員長を含む5名の映倫委員のもとに、映画界の各分野からの出身者7名の審査員によって、年間約600本の長編映画をはじめとする劇場用映画・予告篇・ポスターなどの審査が行われているそうです。

 作品の審査に当たっては常に謙虚な態度でのぞみ、表現の自由を最大限に尊重しつつ、映画が健全な娯楽として大衆に親しまれ、社会の倫理水準を低下させることのないよう、十分な配慮を行い、申請者が審査結果に異義のある場合、映倫委員による再審査委員会を設置して再審査を行なう制度も実施されています。

 特に青少年に対しては、映画の与える影響を重視して、作品を主題・題材とその表現の仕方に応じ、年齢別に4段階に区分し、作品によっては青少年の劇場への入場を制限したり、保護者の助言・指導をうながすなどの措置が講じられています。なお、映倫創立50年を経た今、内外の環境や人々の意識の変化に対応するため、名称も「映画倫理委員会」と改められています。

 さて今日は、9時からこやり事務所にて選挙対策会議が開催されますので出席を予定しています。終了後、資料準備に取り掛かりたいと思います。18時からは、自民党草津市渋川支部の総会が予定されていますので出席をさせていただくことになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1987年(昭和62)年6月13日、プロ野球広島東洋カープの衣笠祥雄選手が、大リーガーのルー・ゲーリック選手の記録を破る2131試合連続出場の世界新記録を達成したことに由来して名付けられました。
 
 父親がアフリカ系アメリカ人(在日米軍人であった)で母親が日本人のハーフです。赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から80年代の広島カープ黄金時代を築き上げる原動力となった選手の一人として誰もが認めるところです。
 
 衣笠選手は、足かけ18年、6082日目の大記録は、まさに鉄人と呼ばれるのにふさわしい頑強な肉体があってのものだといえます。もともと、衣笠選手が鉄人と呼ばれるのは、背番号28(横山光輝の漫画「鉄人28号」)と連続出場した頑強な体からの愛称とされています。
 
 この偉業を記念してプロ野球選手としては、王選手に次いで2人目の国民栄誉賞も受賞しました。
 
 衣笠祥雄氏(67歳)は、現在は野球解説者・野球評論家として活躍されています。日本プロ野球名球会会員であり、広島東洋カープオーナー付スタッフも兼ねておられます。愛称は今も鉄人だそうです。
 
 衣笠選手の23年間の現役の頃のエピソードは数多くあると思うのですが、私が印象に残っているのは、自宅ではスポーツ新聞は購読することなく一切読まなかったことと、食事に関してお米と魚が食べられなかったとテレビのインタビューに答えていたことです。
 
 スポーツ選手として、いろんな情報の入手も必要に思えたのですが、かえって気にしてしまうから一切読まなかったそうです。偏食については、奥様も随分と食事に関してはご苦労されたそうです。それでも鉄人と呼ばれたのだから、他に栄養源があったのでしょう・・・・!!!!
 
 さて今日は、午前中に、後援会の皆様に送る封書の作業について打ち合わせを予定しています。13時からは、こやり事務所の当番にあたっていますので事務所詰めをすることになっています。19時30分からは、自由民主党草津市常盤支部の総会が予定されていますので出席をさせていただきます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 国際語「エスペラント」は、1887(明治20)年にザメンホフが創案しましたが、 約20年後の1906(明治39)年6月12日に、日本で最初のエスペラント団体 「日本エスペラント協会」が設立されました。
 
 これを期に日本でのエスペラント普及が本格的に始まりました。この年に二葉亭四迷のエスペラント学習書が出され、第1回日本エスペラント大会が開催されました。

 それからすでに一世紀が過ぎました。この間、エスペラントは、インターネットの世界にも対応した発展をとげました。そして、国際的な言語問題のいちばん公平な解決策として多くのエスペラント団体が普及・発展につとめています。
 
 国際共通語として作られた人工言語「エスペラント」を話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されています。
 
 この「エスペラント」とはエスペラントの単語で「希望する者」という意味だそうです。残念ながら、私の周りにはこの「エスペラント語」を話す方がおられませんが、希望を持っている方は多勢おられます。
 
 さて今日は、9時に会派控え室へ取り急ぎ行く用事が出来ましたので伺います。その後、10時に事務所へ戻り面談を予定しています。県政報告会の案内の発送準備をしたいと思います。16時過ぎには、再度県庁へ戻り午前中の確認をすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2013(平成25)年6月11日、2011(平成23)年より日本プロ野球で使用されている統一球が、今季よりやや飛びやすく仕様が調整されていたことが判明しました。
 
 日本プロ野球機構の事務局が統一球を製造するミズノ社に対し「調整したことを公表しないように」と要請していたことも明らかになりました。
 
 それまでは球団ごとに異なるボールが使われていたことに対する批判や、WBCなどの国際試合で採用されるボールに近づけるという目的などから、平成23年度から12球団全てでミズノ製の低反発ゴム材を用いた統一球を採用しました。
 
 ミズノ社は飛距離を約1メートル抑えられると説明していましたが、ストライクゾーンの変更など諸条件と合わせた結果、両リーグあわせて2010年の本塁打数と比べると1605本から939本に激減しました。
 
 統一球は、MLBの球よりも飛ばないとされており、実際にMLBの公式球と統一球を同じ高さから落とした場合、MLBの公式球がより高く弾む傾向がありました。
 
 特に2012年は開幕から4月25日まで全球団で123試合中38試合が完封試合という異常な投高打低を記録しました。NPB側は、ミズノ社側に「ボール仕様の調整は公表しないでほしい」と要請するなど、この事実を隠蔽、また選手会には「仕様は変わっていない」と虚偽の説明をしていましたが、6月11日の記者会見で変更したことを認めました。
 
 さて今日は、9時から守山市選出の同僚議員の事務所で、選対の協議をすることになっています。13時からは、昨日に引き続いてのこやり事務所の当番にあたっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 全国商工会連合会によって、1985(昭和60)年に制定されました。1960(昭和35)年6月10日、「商工会組織等に関する法律」が施行されたことを記念しています。
 
 商工会は、地域の事業者が業種に関わりなく会員となって、お互いの事業の発展や地域の発展のために総合的な活動を行う団体です。
 
 また、国や都道府県の小規模企業施策(経営改善普及事業)の実施機関でもあり、 小規模事業者 のみなさまを支援するために様々な事業を実施しています。もちろん小規模企業施策だけでなく、様々な中小企業施策も実施しています。
 
 商工会は、法律(商工会法)に基づいて、主に町村部に設立された公的団体で、全国に1,679の商工会があります。また、各都道府県には商工会連合会があり、広域的なテーマや専門的なテーマについて、みなさんを支援いたします。
 
 商工会の会員等は、様々な業種の事業者等で、全国で約85万事業者等が加入されています。加入している事業者の割合(組織率)は、全国平均で57.3%です。幅広い業種の事業者が加入し、これだけの規模と組織率を有する団体は他にはありません。
 
 さて今日は、9時から12時30分までは、こやり事務所への事務所当番にあたっていますので詰めたいと思います。13時からは、自民党の党本部より副幹事長他3名の国会議員が来県されますので、県連の事務所で応対をすることになっています。

 15時からは、草津市役所での面談を予定しています。本日は、公務での対談が予定されていますが、それぞれ今後のことを考えるととても重要ですのでしっかりと取り組みたいと考えています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議は、1995(平成7)年6月9日に、衆議院本会議で可決された国会決議です。終戦50年決議、不戦決議とも呼ばれています。 当時の村山内閣(自・社・さ連立政権)の与党である自由民主党・自由連合、日本社会党・護憲民主連合及び新党さきがけの院内会派3派により共同提出されましたが、日本社会党と土井たか子衆議院議長の主導で行われました。衆議院議員502人のうち251人が出席し、230人の賛成(起立採決)により可決されました。この決議は後の村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(村山談話)に繋がることとなりました。 決議本文は以下のとおりです。
 「本院は、戦後五十年にあたり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。我々は、過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなければならない。本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する。右決議する。」以上でありました。
 
 以来19年が経過しましたが、今も尚、この決議を受けての村山談話について戦後処理の問題を語る時に、中国や韓国から常に指摘されています。時の政権与党のこうした発言は、決して朝まで生テレビの材料にとどまることがありませんので、我々もしっかりとおさえておかなければなりません。
 
 さて今日は、午前中に庁内での行政相談を予定しています。午後からは、事務所にて面談をすることになっています。今週は、選挙対策をはじめ関連作業が数多く予定されていますので、積極的に取り組んで参ります。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日(6月8日)は、「大鳴門橋開通記念日」です。1985(昭和60)年のこの日、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋が開通しました。大鳴門橋は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(四国孫崎)間の鳴門海峡両端を結ぶ吊り橋です。
 
 橋が出来るまで、四国の皆さんは遠出をするときには、船を利用していましたが、いつも瀬戸内海のご機嫌を伺いながら行動されていました。速い流れ、そして、霧。時には、何人もの命を呑み込んだ海のご機嫌次第で、目の前に見える本州も遠いものとされていました。
 
 その本州と明石と四国の鳴門を結ぶ2つの橋の1つとされる大鳴門橋の橋げたがドッキングしたのが、1984(昭和59)年でした。鳴門市と淡路島の南淡町(2005年1月11日合併により、南あわじ市となり今はありません。)の鳴門海峡を跨ぐ橋長は1,629m。実際の開通は翌・1985(昭和60)年6月8日でした。それまで、大三島橋、因果島大橋などが出来ていましたが、この大鳴門橋は四国の大地に初めてかかった橋とされています。
 
 鳴門の渦潮を真下に、橋は上下2層式となっており、上部は片側2車線の自動車道、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっていました。本州四国連絡橋公団の設立されたのは、1970年(昭和45年)7月のことです。
 
 この橋の設計当時は、まだ鉄道輸送が重視され、ましてや、旧国鉄が分割民営化されるなど思いもよらなかった時代の頃。四国の人たちにとっては、四国と本州が繋がって、四国を新幹線が走るというのは、特に地元徳島県人の夢でした。しかし、その後の明石海峡大橋が道路単独橋として建設されることが決定され、結局、明石海峡大橋は鉄道空間を設けることなく1998(平成10)年に開通しました。そのため、神戸からの鉄道が大鳴門橋に通じる可能性はなくなってしまったとされています。
 
 さて今日は、一昨日の本部での選挙対策会議を受けて、地元の対応を協議することになっています。最前線での戦いが勝敗を大きく左右するだけに、慎重かつ大胆に展開しなければなりません。各町ごとの対応を市議会の皆さんと一緒に協議したいと思います。来週には、地元の草津市でも事務所を開設することになっていますので、そのことについても詳細を確認することになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2009(平成21)年6月7日、テキサス州フォート・ワース、名門ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール史上初となる日本人優勝者が誕生し、アジア勢としても初めての快挙と報じられました。
 
 辻井伸行さん(当為20歳)。ブルガリア1名、イタリア1名、中国2名、韓国1名と辻井さんの6名が参加した決勝で、表彰式で最後に「ノブユキ・ツジイ」がコールされると会場に大きな拍手と歓声が沸き起こりました。
 
 辻井さんは同時にビヴァリー・テイラー・スミス賞(コンクールのために書かれた新曲の最も優れた演奏に対して授与される)も受賞しました。辻井さんの演奏は予選のスクリーニング・オーディションから大きな反響を呼び、同コンクールが名前を冠するヴァン・クライバーン氏も『フォート・ワース・スター・テレグラム』で辻井さんの演奏について「奇跡としか言いようがない」「まさに神業だ」とコメントを寄せました。
 
 6月6日のラフマニノフの協奏曲2番の演奏後はコンクールオフィシャルブログにおいて「このコンクールから出るのは大きな瞬間ばかりだが、これは本当に大きな瞬間だ。」と評されました。優勝した辻井さんには、賞金2万ドルと金メダル、銀製トロフィーに加え、アメリカ内外における3年間のツアー契約と録音契約が用意されました。
辻井さんは、現在もコンサート活動や作曲活動を積極的に展開中です。昨日も、「オリンピックコンサート2014」NHK番組に出演されていました。
 
 さて今日は、7時から草津市のビニールハウス群の密集する北山田・五条・下笠一体の農家の皆さんが総出で取り組まれる、「害虫生け捕り作戦」に参加をさせていただく予定をしています。作業に先駆けて北山田集荷センターでの開会行事に、草津市長やこやりさんと一緒に出席をし、激励の挨拶をさせていただきます。
 
 その後、皆さんと一緒に機械を背負っての作業も体験させて頂く予定です。本日は、こやりさんも一緒に作業をされることになっています。その後、市内への挨拶回りに同行することになっています。午後からは、防災管理研修会に参加をすることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大阪の読売テレビの人気番組「大阪ほんわかテレビ」によって、1995(平成7)年に制定された記念日とされています。ほんわかした空気を大切にして、もう一度家族の姿を見つめ直そうを基本コンセプトに、1993(平成5)年6月6日に放送を開始したことから、読売テレビがその日を記念日に制定しました。

 一家だんらんの「一家(いっか)」とは家族全員のことであり、「だんらん」とは車座に集まって、なごやかに楽しむこととされています。日本では一般的に、皆揃って「頂きます」と言い食事を始め、「ご馳走様でした」と言い食事を終えるが、このような様だとしています。

 厚生労働省は、内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると、子育て期の30歳代男性の就業時間が最も長くなっているそうです。30歳代の女性は、逆に短時間就業となっています。
 
 30歳代男性は、いわゆる働き盛りとされ、進んで遅くまで就業をしているようにもみえますが、「充実を感じるときはどのような時か」という質問項目に対しての回答が、「仕事にうち込んでいる時」よりも「家族団らんの時」に充実を感じるとしている割合が他の年齢に比べて高くなっていることから、家庭を大切に思いながらも長時間就業をしている実態が明らかとなっています。

 「ほんわかの日」は、別名「家族だんらん日」ともされていますが、この日付け及び記念日名の制定者は、番組の主役笑福亭仁鶴氏です。ほんわかとした家族だんらんのひとときを演出するには、一口で笑顔になる美味しいスイーツが一番だとか、是非とも今夜あたりご家族だんらんで如何でしょうか・・・・!!!!

 さて今日は、告示まで20日と迫るなか、今朝はご本人(こやり氏)と一緒に7時から南草津駅での駅立ちからスタートです。8時30分からは、こやり事務所(膳所)にて選挙対策会議が開催されますので出席をします。その後、10時からは自民党県連の役員会が開催されますので併せて出席をさせていただきます。

 午後からは、市内の団体推薦の件で企業を訪問することになっています。この時期に来て、ようやく多くの皆様からの支援体制を整えて頂ける感じを受けて、組織の動きを感じて参りましたが、一層のご支援をいただくために頑張って行動したいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 講道館は、1882(明治15)年に嘉納治五郎によって、古来の柔術を改良して新時代の武道「柔道」の普及を目指し東京下谷の永昌寺で開いた道場とされています。

 最初は門人9名、畳12畳の道場でしたが、嘉納治五郎が直々に柔道の解説をし、形と乱取りの実演も披露しつつ門人を増やし、後に九段の品川弥二郎邸や本郷の陸軍施設を借用しながら、1893(明治26)年に小石川に移転し、翌年道場を新設して、柔道界の中心的施設となりました。

 日本での講道館柔道入門者が増加する一方で、外国人の見学者も増え、1901(明治34)年12月16日には、イギリス公使マクドナルドらの一行約60名が講道館に訪れます。これを機に柔道が世界に広がっていきました。

 嘉納治五郎は、1909年にアジアで最初の国際オリンピック委員会(IOC)委員となり、11年には大日本体育協会初代会長に就任し、そして12年(大正元年)第5回オリンピック大会に団長として参加するなど、国際的に活躍し、柔道界にとどまることなく、今日の日本の体育振興に大いに貢献されました。 

 さて今日は、10時から草津市の体育施設を計画的に管理されている、スポーツ振興課を直接訪問し、今後の市内の体育施設のあり方について考えを伺うことになっています。
 
 10年後には2巡目の滋賀での国体も決定されていることから、会場誘致のうえでも今後の体育施設の建設について取り組みを確認させていただきたいと思います。終了後、市議会の皆さんと選挙態勢と日程の確認をさせて頂くことになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日6月4日は、「む(6)し(4)」(蒸し)の語呂合わせから蒸し料理の日に制定されています。蒸し料理のつけダレとして人気のぽん酢などを製造販売するミツカン(本社:愛知県半田市)によって制定されました。
 
 蒸し料理は余分な油をとらずにすむ、素材の栄養素を逃さずにとれる、野菜をたくさん食べられるなどの利点があり、「蒸ししゃぶ」「鉄板蒸し」「レンジ蒸し」などの調理方法があります。
 
 十分な睡眠時間、バランスのとれた食事。夏バテ対策について、何となく分かっているけど実践できない人が多いようですが、夏バテしない食事メニューの一つとして「蒸し料理」が推奨されています。
 
 「夏バテ予防には、毎日3食、バランスのとれた食事をとることが大事。特に、ビタミンとミネラルの摂取が大切になる」そうです。このビタミンとミネラルは体内では合成できないため、食事などで摂取する必要があります。また、ストレスを感じたり、食欲が減退した時に不足しがちになるので注意が必要とされています。
 
 そこで、夏場にお勧めなのが「蒸し料理」とされ、「食べる直前に調理ができるので、楽しみが広がる」こともメリットとされています。流れ出た蒸し汁や煮汁も忘れずに摂取すれば水に溶けやすいミネラルやビタミンも無駄にならないそうですので、この夏を一気に乗り切るためにも是非お試し下さい。
 
 さて今日は、臨時議会の最終日です。9時30分から議会運営委員会を開会し、議事の流れが確認されます。10時に本会議が開会され、各常任委員長から結果の報告がされた後、採決されることになっています。
 
 閉会にあたり、知事から15分間の予定で2期8年の締めくくりの挨拶が予定されています。その後、議長からのねぎらいの言葉があり臨時議会が閉会されます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1924(大正13)年6月3日、『初恋の味』でおなじみのカルピスが、新聞広告に初めて掲載されました。清涼飲料水の世界では、毎年多くの新商品が発売されていますが、2〜3年後も生き残っているのは少数です。 そんな厳しい業界で、ケタはずれな売れ行きを維持している、日本初の乳酸菌飲料「 カルピス 」、それは、偶然の飲み残しから生まれました。
 
 ヒット商品やロングセラー商品には、ふとした偶然の発見や、何気ない偶然のヒントから生まれたものが少なくないとされ、1919(大正8)年に誕生した「カルピス」も、その開発のきっかけとなったのは偶然のできごとによるものとされています。
 
 カルピスの創業者がかつてモンゴル地方を訪れた時、現地の人が毎日ごちそうしてくれたのが牛や馬の乳を搾り乳酸発酵させたクリーム状の食べ物だったそうです。現地の人たちの常食で、滞在するうちに持病の胃腸の具合が良くなったそうです。
 
 感激した彼は、日本でそれを作って販売しようと考えました。研究の末、独自の発酵クリームを製造し販売しましたが、売上はイマイチ。その製品に砂糖を加えてみました。その飲み残しを翌日なめてみたらより美味しくなっていたそうです。さらに2〜3日おくともっと美味しくなりました。おそらく、空気中の酵母が混入し、ほどよく自然発酵していたと思われています。
 
 さらにこれにカルシウムを添加することを思いつき、当時、ヨーロッパではカルシウムの栄養的価値がさかんに説かれており、国内では日本人の食生活にはカルシウムがとくに不足していると指摘され始めていたことに由来しています。こうして脱脂乳を乳酸発酵させてできたカルピス社独自の酸乳に、カルシウムと砂糖を加えた飲み物ができあがり、「カルピス」が誕生したそうです。誕生以来95年経っても「初恋の味」は健在です。
 
 さて今日は、9時30分から議会運営委員会が開会され本日の議会の流れを確認したいと思います。10時から各常任委員会が開会されます。私の所属する文教・警察常任委員会も開会されることになっています。昨日付託された案件について当局の説明を受け、慎重に審議されることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 甘露煮を製造する平松食品によって制定されました。六(ろ)二(に)で「かんろに」の語呂合せからだそうです。しかし、もう少し詳しく歴史を調べてみると結構詳しい情報がありましたのでご紹介します。甘露煮、そして佃煮の発祥の地は、東京都の佃島とされています。では、どのような経緯で佃島で佃煮・甘露煮が作られるようになったのでしょうか。
 
 1582(天正10)年6月2日、天の時、地の利を味方につけ天下を目前の織田信長は中国地方遠征の為本能寺に駐留していましたが、人の和には恵まれず明智光秀の謀反にあい明智軍勢に攻め立てられ、紅蓮の炎の中、自害し49歳にてこの世を去りました。

 信長死すの報を受けた家康は自らの危険を察知し、すぐさま居城のある岡崎に帰ろうとしましたが、すでに京都は明智勢に押さえられ、帰路にあたる奈良街道も、明智の盟友筒井勢が押さえ、陸路は全てふさがれた状態にありました。側近として仕えていた伊賀忍者の服部半蔵は、機転を利かせ海路脱出を図ります。

 住吉・佃の漁師に船を出してもらえるよう依頼し、快く受けた佃の漁師たちは海路で家康を紀伊半島に送り届けました。また、漁師たちは帰路の道中にと、漁師の保存食「潮炊き」の小魚を分けあたえました。
 
 この「塩炊き」こそ佃煮のルーツとなり現代まで受け継がれているとされ、この「塩炊き」がなければ家康は天下を取れなかったかもしれません。このように幾重にも織り成された佃煮の歴史。その始まりは6月2日の日本史上最大の謀反「本能寺の変」であったと言えるかも知れません。

 さて今日は、7時から南草津駅での駅立ちからスタートです。9時30分から議会運営委員会が開会されます。その後全員協議会が開会され、午前中に6月臨時議会が開会されることになっています。期間は、4日までの3日間の予定です。本日は、各議案の提案説明の後、各委員会に付託され閉会となる予定です。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大阪府摂津市の梅研究会によって、1987(昭和62)年に制定されました。この日が、梅の実が熟す最初の日と言われていることからだそうです。

 梅肉エキスとは、バラ科サクラ属のウメの実の絞り汁を長時間加熱して水分を蒸発させ、ペースト状にした食品とされ、江戸時代より民間薬として利用されている日本の伝統的健康食品です。

 ウメは中国原産の落葉高木で、中国から薬用の烏梅(うばい)という形で伝来したという説が有力です。烏梅は未熟な青梅を煙でいぶし焼きにして天日に干し乾燥させたもので、鎮痛、解毒の作用があり、熱冷まし、下痢、吐き気止め、せき止め、回虫駆除などに有効とされています。

 中国最古の薬物書『神農本草経』にはウメの薬効が説かれていますが、梅肉エキスは、日本で考案されたもので、江戸時代末の医師・衣関順庵(きぬどめじゅんあん)が著わした医学書『諸国古伝秘方』には梅肉エキスの作り方が記され、赤痢やチフス、食中毒、吐き下し、下痢、便秘、消化不良などに対する効用が記されているそうです。

 現在では、血流改善、降圧作用、免疫細胞の活性化、抗インフルエンザウィルス活性、疲労回復、肝臓強化、静菌作用などの効用が知られています。非常に酸味が強く、この酸味は、主成分のクエン酸によるものとされ、梅肉エキスを製造する過程で生まれるムメフラールは梅肉エキスだけに含まれる成分とされています。

 さて、今日から6月です。知事選挙の告示日まで1ヶ月をきり25日前と迫って参りました。昨日の選挙対策会議を受けて、最前線の支部に至りますまで、体制を固め初期の目的達成のために積極的に準備を進めなければなりません。

 我が陣営は、未だに知名度が低く、名前と顔が一致しないし、見たこともないとお叱りを受けています。何とかして、多くの皆様にお引き合わせしたいのですが滋賀県も広うございます。何とか我々の言葉で、人となりをご紹介すべく取り組んではいるのですが・・・・とにかく頑張ります。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!