日本住宅公団というのは、かつて存在した特殊法人で、現在の都市再生機構の前身の一つとされています。1955(昭和30)年、7月8日に日本住宅公団法が公布され、25日に、日本住宅公団が設立登記されました。その後、同公団は、住宅に困窮する勤労者のために住宅及び宅地の供給をおこなってきました。 誕生間もない日本住宅公団は、高層団地の建設に全力をあげていました。そして、日本住宅公団が初の入居者募集を開始したのが、1956(昭和31)年のこの日でした。 千葉の稲毛団地(普通分譲住宅)と大阪の金剛・東長居両団地(賃貸住宅)が同時に入居者の募集を開始しました。入居第1号の賃貸住宅である金岡団地(大阪・堺市)の家賃は2DK(6畳と4畳半に台所)で、月4,600円、入居資格は月収2万5000円以上。当時の課長クラスの収入が必要でした。 シリンダー錠、ステンレス流し台、洋式トイレ、ガス風呂など近代的な設備を備えていたそうです。当時はまだ、食べる部屋と寝る部屋を分けたDKに加え、シリンダー錠でプライバシーも守られたニュースタイルの「団地」が輝いて見えた時代だったとされています。 とういうことは、「マンション」はいつ頃からだったんでしょうか。また、調べておきます・・・・!?!? さて、今週の末には2月定例会も閉会を迎えますが、今期定例会では、三つの『域』についての議論があったように思います。流域治水、関西広域連合、そして職員給与の地域手当問題です。 21日には午後から、三つの域の最後の「地域手当」についての条例をめぐっての議論がされます。本日も、午後からこの事についての会派内での議論が予定されています。 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!
|