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 閏(うるう)年の翌年の曜日は、一つ飛び越してふたつずれます。 このことから、英語では閏年のことを“leap day”、飛び越える日といわれています。 かつてイギリスでは、この日だけは女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、男性はそれを断ることができませんでした。
 
 丁度、今年は閏年です。意中の方がおられる方は、是非勇気を出してこのイギリス方式でプロポーズされては如何でしょか!? 断られる心配はいらないのですから、愛の告白をされると案外良いかも知れません・・・・!!!!
 
 このように、日本では今、毎日何かの記念日です。法律で決められたものもあれば、業界団体が売り上げ増進を狙いに制定したものまで種々雑多であります。4年に一度しかないうるう年の2月29日さえも「ニンニクの日」・「跳躍の日」などになっています。
 
 次々と記念日を作ることで、記念日そのものが軽薄になり、忘れられ、ないがしろにされてしまう恐れはないのか心配です。 公的記念日を乱発するより、現在の記念日を大事にする方が、国民にとってより忘れられない「誓いの日」にできるのではないでしょうか。

 このようにして、今日は何の日を調べてまる5年が経過しましたが、本当に多くの記念日があることに驚いています・・・・!!!! といいながら、明日から3月!?!? 明日もきっと、今日は何の日か調べているような気がします。
 
 さて、今期定例会の一般質問も最終日の4日目を迎えました。本日も6名の方が予定されています。 明後日には、予算特別委員会も開会されますので、直ぐにでも発言通告をまとめなければなりません・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 歴史上で、鎖国は江戸幕府が封建体制強化のため、キリスト教禁止を名目に、オランダ・中国・朝鮮以外の国との貿易と日本人の海外渡航とを禁止したこととされています。

 また、それによる国際的な孤立状態で、1633年のこの日から39年まで五次にわたって出された鎖国令に始まり、1853年のペリー来航まで二百余年間続きました。

 日本は、長崎の出島を介して特定のオランダ、中国、朝鮮と通商貿易をもったに過ぎず、国全体としては鎖国的な状態に置かれていました。

 しかし、貿易や海外情報を独占していた幕府自身は鎖国していたという意識はなく、当時法令で「鎖国」という言葉を用いることはなく、かえって中国、オランダ両国の来航船数は増加し、貿易額の急増で日本の金銀が急速に流出したとされています・・・・!!!!

 さて、今日も2月定例会、一般質問3日目が行われます。私は本日の2番目にすることになっています。    今議会では、
 1.重症心身障害者入所支援事業について
 1.自殺対策について
 1.滋賀の観光施策について  以上の3点について当局の取り組み姿勢を問いたいと考えています・・・・!!!!

 本日は、終了後に地元で私が会長を務めている教育振興会の会議を召集しています・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大相撲の横綱は、古来、吉田司家がその免許を授けていましたが、1950(昭和25)年1月、同家は免許権を日本相撲協会に移譲しました。これを受けて同協会はこの日、学識経験者による横綱審議委員会の設置を決定しました。
 
 同年の5月より正式設置されましたが、同協会理事長が委嘱する各界の有識者15人以内で構成され、横綱に関する案件について、協会の諮問に答申したり、進言したりしています。  年6度の定例委員会が毎場所後に開催され、東京場所前には、けいこ総見が実施されます。内規により、横綱昇進を推薦し、成績不振などの横綱には「激励、注意、引退勧告」を行うことになっています。

 そこで、この横綱審議委員会が最初に推挙した横綱は第41代の千代の山とされています。以来、今日まで日本の国技とされる大相撲にあって最高位とされる横綱を推挙する目的で運営されているところだと思いますが、最近では外国人横綱ばかりが目立っており、ちょっぴり寂しい気がします。
 
 加えて、一昨年発覚した「八百長相撲」の件では、大相撲自体からファンが離れてしまった気がしてなりません。このことを思うと大変残念ですが、間もなく開催の大相撲春場所(大阪場所)では、こうした不安を一掃するくらいに大いに盛り上げて欲しいと願っています・・・・!!!!
 
 さて、今日も終日に亘り一般質問が予定されています。本日は7名の方が登壇されますが、今議会注目されている「流域治水基本方針について」、我が会派の生田議員がされますが、同志の一人として知事とのバトル!?を楽しみにしています・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオンが島を脱出して1000人の兵士と共に、パリに向かいました。3月1日にカンヌに上陸し、ほとんど抵抗を受けることなく、「皇帝万歳」の声に迎えられてグルノーブル・リヨンを経てパリに進撃を開始したとされています。

 ルイ18世も軍隊を派遣、ナポレオンの討伐を命令しましたが、軍は特にロシア遠征の退却戦で功をたてた名将ネイ元帥をはじめ次々とナポレオン側に付いたため、3月20日、ナポレオンはパリに入り、再び皇帝位に就きました。

 そこで、この2月26日を記念して、嫌なこと、辛いことなどからの脱出を目指して頑張る日とされたようです。
 
 私達の日々の暮らしの中でも、脱出したい気持ちになる時がありますが、逃げるのではなく脱出を目指し行動をすればおのずと道は開けることを信じて頑張りたいものです。決して、ひとりじゃないことを信じましょう。 いつも、どんな時もそばにいてくれるから・・・・!!!!
 
 さて今日は、10時より親戚の法事にお参りさせて頂きます。14時頃には戻り、質問の原稿作成に取り掛かりたいと思います。何といっても明日には提出を考えておりますのでお待ちの方のためにも頑張ります・・・・!!!!
 
 本日も、早朝からお仕事の方もおられることと存じますが、皆様には休む暇もなくお働き頂くことに心から感謝申し上げます。今こそ必要なのは支え合う心、愛であるとを改めて感じさせていただいています・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2004(平成16)年のこの日、気象庁が緊急地震速報の試験運用を開始しました。この緊急地震速報は地震の発生直後に、震源に近い地震計でとらえた観測データを解析して震源や地震の規模(マグニチュード)を直ちに推定し、これに基づいて各地での主要動の到達時刻や震度を予測し、可能な限り素早く知らせる地震動の予報・警報です。
 
 緊急地震速報を利用して、受信して列車やエレベーターをすばやく制御させて危険を回避したり、工場、オフィス、家庭などで避難行動をとることによって被害を軽減させたりすることが期待されます。
 
 ただし、緊急地震速報には、情報を発表してから主要動が到達するまでの時間は、長くても十数秒から数十秒と極めて短く、震源に近いところでは速報が間に合わないことがあります。また、ごく短時間のデータだけを使った速報であることから、予測された震度に誤差を伴うなどの限界もあります。緊急地震速報を適切に活用するためには、このような特性や限界を十分に理解する必要があります。
 
 緊急地震速報は、財団法人鉄道総合技術研究所と気象庁による共同技術開発と、独立行政法人防災科学技術研究所による技術開発の成果により可能となりました。昨年発生の東日本大震災の時も、その後の余震時にも全てこの緊急地震速報が多くの関係者に発信されています。 私も、昨年関東方面へ出張の際に携帯への緊急地震速報を受信しました・・・・!!!!
 
 さて今日は、午後から県の看護連盟の皆様との合同勉強会が守山市で予定されていますので参加をさせて頂きます。また、県の神道政治連盟の総会も多賀町で予定されています。こちらにも出席をさせて頂きます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大衆作家・直木三十五[なおきさんじゅうご]が1934(昭和9)年の今日亡くなりました。代表作の『南国太平記』から「南国忌」と呼ばれています。

 翌年、直木三十五の友人だった作家・文芸春秋社長の菊池寛によって、純文学の「芥川龍之介賞(芥川賞)」とともに、大衆文学の分野の新人に贈る賞として「直木三十五賞(直木賞)」が創設されました。
 
 直木三十五は、本名を植村 宗一といいますが、「直木」は「植」の字を分解したもので、「三十五」は年齢を元にしたものとされています。31歳のときに直木三十一の筆名で『時事新報』に月評を書いたのが文筆活動の始まりで、以降誕生日を迎えるごとに「三十二」、「三十三」と名前を変えていたそうです。

 34歳の誕生日を迎えた時、本人は「直木三十四」と書いたのに、編集者が勘違いから「直木三十三」と訂正されました。しかし、当の「直木三十四」はそれを直すことはせず「直木三十三」を使っていました。しかし「三十三」は字面が良くない、あるいは「さんざん」と読むことができたり「みそそさん」呼ばれることを本人が嫌ったようで、直木三十五と名を改めたとされています。

 それ以降は改名することはなく、理由は「三十六計逃げるに如かず」と茶化されるのが嫌だったからだそうです。また菊池寛から「もういい加減(年齢とともにペンネームを変えることは)やめろ」と忠告されたからだとも言われています。亡くなった時の年齢は43歳でした。
 
 さて、今日から2月定例会の一般質問が始まります。午前10時より5名の方が予定されています。ちなみに私は、来週28日の2番手です。また、本日は一般質問終了後、会派代表による会議も予定されているため出席します。
 
 更に、自民党県連の総務会・選対会議の合同会議も予定されているため、今夜も遅くなりそうです・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 今日(2月23日)は、「妊婦さんの日 」とされています。妊娠している女性(妊婦さん)に対して、もっと思いやりの心を持って接しようと、2009(平成21)年5月23日に「BABY BABY BABY!」という映画を全国で公開した東映株式会社によって制定されました。

 映画は出産をテーマとしたエンタテイメント作品で、大ヒットした「ナースのお仕事」のキャスト、スタッフが手がけたもので、日付は2と23で「妊婦さん」と読む語呂合わせから・・・・とされています。
 
 ところで、1963(昭和38)年のヒット曲に梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」があるのをご存知でしょうか!?!? その歌詞に、「二人だけの愛のしるし すこやかに美しく 育てといのる・・・・」といった、生まれた子どもへの限りない愛情あふれる言葉が出てきます。我々の親の時代はまさに子供が産まれてきてくれてありがとうの時代でした。
 
 しかし、折角誕生した子供を親が育てるのが面倒だからと、簡単に捨てたり、また、虐待し、挙句には、死に至らしめてしまうような親もいるのが今の日本の現状です。そして、今の時代には、タレントだけではなく「できちゃった婚」・・・・などと言う言葉が、普通の若者たちに流行語のように使われています。

 子供を作った人達の、ただセックスの結果として「できちゃった・・・・」子供って、どんな将来が待っているのでしょう? また、最近は、バツイチなんて言葉がさもトレンディな言葉のように使われています。

 離婚をした男女双方にはそれぞれに、それなりの言い分があるのでしょうが、子供にとっては、好むと好まざるとにかかわらず、片親の欠けた環境で育たなければなりません。そういう環境で育った子供は、成長し大人になったとき、結婚と言うもの、出産と言うことに対してどのような考え方を持つようになるのでしょうか!?!?ふと考える時があります。
 
 さて今日は、ほぼ終日一般質問の原稿作成に時間を使いたいと思います。私の発言は、3日目の2月28日火曜日の午前中に決まりましたので、ちょっとは余裕がありそうなんですが、この週末も行事予定がぎっしりですので少しでもこの間に仕上げたいと思います。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 「おでんの日」記念日の由来をみると、「クチこみラジオ越後じまんず」によって制定された日とありました。新潟のおでんをPRするとともに、オリジナルおでんの開発や全国おでん合戦開催などが行われているようです。

 日付はアツアツのおでんは「ふーふーふー」と息を吹きかけて食べることから、2(ふー)と22(ふーふー)の2月22日としたもの・・・・とありました。

 関西の私たちには「クチこみラジオ越後じまんず」と言うのが、どんな番組なのか、また、「新潟のおでん」というものが、どんなものかも良く分かりません。

 広辞苑によれば、“「おでん」は漢字では「御田」と書き、「でん」とは、「田楽」の略。@田楽豆腐。A煮込み田楽の略。豆腐・こんにゃく・里芋・大根・はんぺん・つみれなどを醤油味で煮込んだ料理。「関東炊き」「関東煮」”・・・・とありますが、@Aのどちらの方を言っているのでしょうか!?!? 日本記念日協会への登録は2007(平成19)年からとされていました。
 
 寒い冬の夜は、特に「おでん」を食べてあったまろと誘われれば思わず「賛成」ですよね!!!! 美味しい「おでんの店」をご存知の方は是非情報を提供して下さい。後日、必ずご紹介します。 何でしたらお誘い頂いてもです・・・・!!!!
 
 さて今日は、正午が一般質問の発言通告の締め切りです。いつもながら、それまでには提出したいと考えています。今回の私の質問項目は3点を予定しており、全て1問1答で行うことにしました。
 
 午後からは、行政相談の回答を持参することになっています。夜は、自民党の支部会議が召集されていますので出席を予定しています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 国際教育科学文化機関(ユネスコ)によって1999(平成11)年11月17日に制定された、国際デーの一つとされています。
 
 1952(昭和27)年、当時はパキスタンの一部だったバングラデシュで、ベンガル語を公用語として認めるように求めるデモ隊に警官隊が発砲し、4人の死者が出ました。

 バングラデシュでは、独立運動の中の重要な事件の一つとしてこの日を「言語運動記念日」としていました。この事を背景に、国際母語の日は毎年ユネスコの加盟国と本部で、言語と文化の多様性と多言語主義を推進するために祝されています。

 言語はユネスコの目的の中でも核心にあります。諸言語はわれわれの有形・無形の文化遺産を保存するためのもっとも強力な手段です。

 母語を広めるための全ての運動は言語の多様性と多言語教育とを勇気付けるだけでなく、世界中の言語と文化の伝統について存分に意識を高め、理解と寛容と対話に基づいた連帯感を養うことにつながっています。
 
 さて今日は、2月定例会の代表質問が行われます。我が会派からは川島議員と大野議員の2名が、他会派からそれぞれ2名が予定されており、夜の20時頃までかかりそうです・・・・!!!!
 
 それぞれ、平成24年度の事業や予算を審議するにあたり当局の姿勢を問う場として重要な案件が取り扱われるものと思われます。私も、今日の各項目を参考に、今期定例会での一般質問につなげて行きたいと考えています。
 
 今夜は、お世話になった方のお通夜に参列する予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

2012年 2月 20日 [月曜日]

 2001(平成13)年2月のこの日、当時の長野県知事・田中康夫氏は、多大なダム建設費用、維持費用と同時に、地球環境上看過し得ぬ負荷を与えるコンクリートによるダムの建設を中止し、100年、200年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したいと訴える「脱ダム宣言」を発しました。
 
 長野県では、これを受けて「長野県治水・利水ダム等検討委員会」を設置し、ダム建設の是非を個別のダムごとに検討することになりました。なお、この検討結果は「答申」の形で知事に提出されています。 この「脱ダム宣言」は公共事業の見直し論ともあいまって、全国的に大きな反響を呼びました。
 
 ダム事業は通常一度計画されたものについては時間がかかっても最終的には完成するのが常で、一部の例外を除きダム事業が中止となることはありえませんでした。しかしながら、時代の変化と共に河川行政に対する国民の視点が大きく変化し、ダム事業もその中で大きな転換点に差し掛かりました。
 
 これを現実のものとしたのは1990年代以降特に行われた公共事業見直しの風潮とされています。実施計画調査開始から10年以上経過したり予備調査のみしか行われていないダム事業について河川行政を管轄する国土交通省が事業の総点検を行いました。その中で反対運動等でこれ以上の事業進展が不可能であったり、代わりとなる治水・利水案がダム事業よりコストパフォーマンスが優れている、事業に対する流域のメリットがなくなったなど、様々な理由により事業が中止となっています。
 
 主な理由としては、近年では単独の理由で中止となるよりは複合的な事情が重なって中止となるケースが多く、ダム事業の中止とは以前は極めて稀なケースでしたが、現在では公共事業見直し論の浸透で多くのダム事業が建設中止となっており、今後もこの傾向は継続するものと見られています。その流れは、我が滋賀県でも嘉田知事就任以来顕著に現れていますが、流域住民の皆様との間には乖離するご意見が多いのも事実です。
 
 さて今日は、今期定例会の一般質問項目の要点整理と取材を考えています。今回も2点について考えていますが、詳しくは後日お知らせ致しますので、今しばらくお待ち下さい・・・・!!!!
 
 さて、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1942(昭和17)年のこの日、ルーズベルト大統領の命令により、アメリカ在住の日系人11万2千人が強制収容所へ転住させられました。いわゆる、日系人の強制収容です。
 
 日系人の強制収容は、太平洋戦争(大東亜戦争)時においてアメリカ合衆国政府によって行われた日系アメリカ人及びペルーなど中南米諸国の日系人移民に対する強制収容所への収監政策のことです。
 
 日本による中国大陸への侵攻をキッカケに、アメリカ合衆国政府は1941(昭和16)年7月に自国内の日本資産の凍結、通商 航海条約の一方的破棄を通告したそうです。その後8月1日には日本への石油の全面禁輸など、日米間の関係が緊迫する中、同年11月にアメリカ政府は国内に在住する日系人名簿の作成を完了させました。
 
 その後、12月8日に日本軍によって行われた真珠湾攻撃をきっかけに枢軸国と戦争状態に入ります。この戦争状態をもって、アメリカ本土、及び中南米諸国に住む、枢軸国の国家をルーツに持つドイツ系アメリカ人とドイツ人、イタリア系アメリカ人とイタリア人、そして日系アメリカ人と中南米諸国への日系移民を含む日本人に対して「敵性市民」としての監視の目を向けることになったとされています。
 
 では、なぜ、日系人の強制収容という手段になったのでしょうか? 結論をいえば、アメリカが第二次世界大戦に参戦するための一環だったということが言えるようですが、皆様はどのように見ておられるでしょうか・・・・!?!?
 
 さて今日は、義兄の一周忌法要が予定されておりますのでお参りをすることになっています。早いもので、あれから一年、義兄にとって二人目の孫も間もなく生まれ、来月には次女が結婚するそうですが、天国で無事誕生と幸せを見守ってあげてくださいね・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 この雪まつりは、1950(昭和25)年に、地元の中・高校生が6つの雪像を大通公園に設置したことをきっかけに始まりました。雪合戦、雪像展、カーニバル等を合わせて開催、5万人あまりの人出で予想以上の大人気でした。以後、札幌の冬の行事として市民に定着していくことになります。

 1953(昭和28)年には、高さ15メートルの大雪像「昇天」が初めて作られました。1955(昭和30)年には、自衛隊が初めて参加し、大規模な雪像づくりに挑戦しました。第10回開催の1959(昭和34)年には雪像制作に2,500人が動員、はじめてテレビ、新聞でも紹介され、翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。こうして、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。

 1965(昭和40)年、第二会場として真駒内会場を正式に設置。1972(昭和47)年には、冬季オリンピックが札幌で開催、「ようこそ札幌へ」のテーマで雪まつりは世界に知られるようになります。1974(昭和49)年はオイルショックで試練の雪まつりとなったそうです。雪はこびトラックのガソリンが手に入らず、雪像の中にドラム缶を入れるなどして乗り切り、この年から国際雪像コンクールもスタートしました。

 以後、瀋陽、アルバータ州、ミュンヘン、シドニー、ポートランドなど札幌とつながりの深い外国地域の雪像が制作され、国際色あふれるイベントとして発展しました。その後、第34回開催の1983(昭和58)年から3番目の会場として「すすきの会場」が登場し、ネオンに輝く氷像が評判を呼び、雪まつりの新たな一面を開拓するとともに、1984(昭和59)年から会期を2日間延長し7日間するなど、世界中の多くの人々に愛されるまつりへと成長を続けてきました。

 2005(平成17)年で40年続いた真駒内会場が閉鎖し、2006(平成18)年から2008(平成20)年は「さとらんど会場」を開設、2009(平成21)年からは第2会場を「つどーむ会場」とするなど、新たな雪まつりの創出に向け進化し続けていますが、私は残念ながら未だに訪れたことがありません・・・・!!!!

 さて、この週末も少し寒さがもどって参りましたが体調管理には充分ご注意願います。私は、この週末を利用してしっかりと一般質問項目の整理に努めたいと思います。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2002(平成14)年のこの日、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を受賞しました。アニメ映画の受賞は初めてとされています。
 
 宮崎監督はこの作品の制作に取り掛かる前、柏葉幸子著「霧のむこうのふしぎな町」をアニメ化しようと考えていましたがこれが叶わず、「千と千尋の神隠し」という形で作品化しました。このことは「霧のむこうのふしぎな町」の影響を受けていることを劇場用パンフレットで明らかにしています。
 
 また、このベルリン国際映画祭は、ドイツのベルリンで毎年2月に開催される国際映画製作者連盟 (FIAPF) 公認の国際映画祭とされており、カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭と並び世界三大映画祭のひとつに数えられています。
 
 ベルリンという大都市で行われるため、非常に来場者も多く、三大映画祭では唯一128の国や地域から、19,000人以上のプロフェッショナル(内4,000人ほどが報道関係者)が集まり、300,000枚ものチケットが売れ、400の映画が上映される大規模な映画祭となっています。

 更に社会派の映画が多く集まる傾向があるとされており、最高賞はベルリンの市賞にちなんだ金熊賞とされています。また、アニメ映画の受賞は初めてと冒頭でふれましたが、第52回での受賞以来今年で62回を数えますが未だにアニメはこの作品だけとなっています。
 
 さて今日は、昨日開会された定例県議会を受けて、今期定例会での一般質問の資料収集と項目の整理、更には議案熟読に時間を取りたいと考えています。必要に応じての取材も行いますが、最近では、インターネットを利用して実に多くのデータを入手する事が可能となりました。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 空港島の造成や連絡橋(神戸スカイブリッジ)等を含めた建設費3140億のうち90%以上を神戸市が拠出して運営されています。旭川空港・帯広空港に次いで国内3番目の市営空港として2006(平成18)年のこの日開港しました。

 神戸市は、神戸空港の経済効果を約3621億円と試算し、初年度においては約319万人の利用を見込んでいましたが、実際には269万7,279人(搭乗率61.1%)と予想を下回りました。しかし、関西空港と大阪(伊丹)空港に第3の空の玄関口が仲間入りし、新時代の幕開けを告げました。

 開港のその当日は、午前7時過ぎ、日本航空が第1便として井戸敏三兵庫県知事ら満席に近い453人の乗客を乗せてほぼ定刻通り羽田へ向けて離陸したそうです。 続いて鹿児島などにもビジネス客や旅行客を乗せ、順次出発し、神戸空港に初着陸した全日空機には「OPEN神戸」と特別塗装された機体が使用され、開港を盛り上げました。

 以来7年目を迎え、この1月までの旅客数は、15,325,797人を数え、搭乗率は67.2%となっています。滋賀県の皆様も修学旅行をはじめ、多くの利用があるとお聞きしておりますが、残念ながら私は一度も利用をしたことがありません。今後とも空港を持たない滋賀の皆様には、関空、伊丹、セントレア、神戸と目的に応じて利用されるものと思います・・・・!!!!

 さて今日から、来月の23日までの37日間2月定例県議会が開会されます。主に平成24年度の事業計画と予算が審議されます。この間、いつもの常任委員会や特別委員会の開催に加えて、予算を集中的に審議する予算特別委員会も開会されますので、日程はかなりつまっています。

 本日は、全員協議会の後、本会議にて各議案が上程される事になっています。その後、午後からは関西広域連合議会に関しての全員協議会も開催されることになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おう〜!

 人間国宝は、日本の文化財保護法に基づき、文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物を指す通称とされています。文化財保護法には「人間国宝」という文言はありませんが、重要無形文化財保持者を指して人間国宝と呼ぶことが広く用いられています。

 1955(昭和30)年のこの日、伝統芸能や工芸の第一人者30人が第1回の「人間国宝」(重要無形文化財)に指定されました。文化財保護法の改正によって無形文化財も指定できるようになり、その功績を広く国民に知らせて伝統を守り、さらに発展させるのがねらいとされています。

 無形文化財は、人間の「わざ」そのものであり、具体的にはそのわざを体得した個人または個人の集団によって体現されます。国は、無形文化財のうち重要なものを重要無形文化財に指定し、同時に、これらのわざを高度に体現しているものを保持者または保持団体に認定し、我が国の伝統的なわざの継承を図っています。したがって、顕彰というよりも文化の保存と継承に主眼が置かれています。

 さて今日は、来年度事業のことで、以前にご相談を受けた方へ、経過の説明と今後の見通しについてご報告を兼ねて回答をお伝えしたいと考えています。

 ところで、皆様は最近のメタボ対策にトマトが効果あるということをご存知でしょうか!?!? 気になるメタボ対策として、これまで納豆だとか、バナナだとかいろいろブームになりましたが、今度の場合もかなり本気度は高いようです。 スーパーや八百屋さんでも品切れ店が続出しているようで、血液中の脂肪増加を抑える新成分がトマトに含まれていることを、京都大大学院の河田照雄教授らの研究グループが発見しました。マウスを使った実験で、血液などの中性脂肪量を抑制することが確認されました。メタボリック症候群の予防に効果が期待されるとのことですので、効果があった方は是非ともご一報下さい!!!! 私としては、これ以上食べてやせるは・・・・なものてして!?!?

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 毎年のお正月の恒例行事となっている箱根駅伝が始まったのが1920(大正9)年2月14日のこの日だったことをご存知でしょうか・・・・!?!? 当初、東京都内13の大学、専門学校が参加の予定でしたが、10人の長距離ランナーを揃えられる学校は少なく、最終的に、「早稲田大学」、「慶應大学」、「明治大学」、「東京高等師範学校」(現筑波大学)の4校で行われることになったそうです。

 さて、どこを走るか?コース決めは難航し、まずは、東京〜水戸間が、候補にあがりましたが、平坦すぎるなどの理由から断念されました。続いて、東京〜日光間があがりましたが、これは片道コースで、交通の利便性が至極悪いとの理由でまたまた消えたとされています。

 最後にあがったのが東京〜箱根間ルートで、交通の利便性、箱根の山登りの勇壮さ、往復コースとなることなどが決め手となりました。「天下の嶮」箱根の山、越すに越されぬ箱根山と歌われるほどの急峻な山道に挑む選手たちの姿が頭に浮かんだのかも知れません。今でも、「山登り」「山下り」の場面で多くのドラマが展開されており、箱根駅伝ならではの期待の寄せられている区間と位置付けられています。

 そしていよいよ、有楽町の報知新聞社前から4校がスタートし、以来今年で89回を数え、歴史と伝統のある大会となって参りました。私も毎年この大会を楽しみにテレビで拝見しており、箱根駅伝のファンの一人です。 いつの日にか直接観戦し応援出来ればと願っています・・・・!!!!

 さて今日は、地元の老人クラブの皆様に県政報告を予定しています。参加者の多くが女性とお聞きしています。そこで、女性向けに何をお話すればと考えたのですが、年齢のことを考慮すれば、健康問題、年金問題でしょうか?

 私は、県議会の文教・警察常任委員会の委員長をさせて頂いておりますので、昨今のお年寄りを取り巻く交通事情や、急増している振り込め詐欺の実態についてもお話し出来ればと考えています・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1951(昭和26)年の今日、「地方公務員法」が施行されました。地方公務員法は、地方公務員の職、任免、服務、労働関係など、地方公務員の身分取扱に関する基本的な事項を定めた法律とされています。 敗戦後の1946(昭和21)年11月、大日本帝国憲法に代わって制定された日本国憲法には、新たに地方自治に関する章が設けられ、第92条で「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定されました。
 
 同法案についても地方公務員に対する労働基準法の適用、単純労務職員の特別職化などの点で各方面の了解を得られず、さらに1年程度再度調整の期間を要した後、1950(昭和25)年11月17日にようやく地方公務員法案が閣議決定され、同月21日に法案が第9回通常国会に提出されました。国会で法案が可決され、12月13日に公布(法律第261号)され、翌・1951(昭和26)年の今日(2月13日)施行されました。
 
 国も地方も公務員は、もう今までの時代のような性善説ではなく、これからは、性悪説にたって眼を放すと悪い事をすると言う事を前提に、管理体制を作り、外部の者が厳しく監視をするしかないのだろうとされています。道徳観念の無くなった今の日本人を情けなく思うだけでなく、兎に角、早急に本気で、公務員改革をしなければ、日本は公務員に食いつぶされるとまで言われています。

 しかし、それをやる政治家が、先ず自分達自身の改革をしなくてはいけないだろうと私は思います。「先ず隗より始め」。これくらいの諺は、今の政治家でも知っていると思いますが・・・・。「いや、存じませぬ・・・・」ととぼける方もおられるのでしょうか・・・・!!!!
 
 さて、昨日行われた草津市長選挙は、現職の橋川渉氏が無投票当選をされました。やはり、告示以前からいわれていたように、この4年間の市政運営が多くの市民の皆様に高い評価を受けてのことだと思われます。向こう4年間のさらなる草津のまちづくりに多くの期待が寄せられているところですので、私も連携して取り組んで参りたいと思います・・・・!!!! 
 
 本日は、午前10時より、文教・警察常任委員会が開会されますので出席をする予定です。いよいよ今週から2月定例会も始まりますが、県民の皆様の「生きる力と輝く夢の実現」にむけて、真摯な議論を進めて参りたいと考えています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1994(平成6)年のこの日、天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の激戦地・硫黄島を訪問されました。戦争犠牲者の慰霊碑に拝礼されたご様子を報道されたことが印象的でした。
 
 ところで、天皇陛下は昨日午前、心臓の精密検査のため東京大病院に入院されたと報道されました。心臓を取り巻いている冠動脈の血流具合を見る造影検査を受け、無事終了したことも報じられておりましたが、経過観察のため一泊し、本日退院されるとのことで一安心しております。

 陛下は昨年2月に同病院で同様の検査をした結果、血管が狭くなる狭窄(きょうさく)があるなど、ある程度の動脈硬化が確認されていることは知っておりました。

 昨日、陛下は皇后さまとともに皇居を出発し、入院棟の玄関では、出迎えた院長や循環器内科教授にあいさつし、病棟の患者や見舞客に笑顔で手を振って応えられたそうです。
 
 さて今日は、草津市長選挙の告示日です。現在のところ、現職の橋川候補以外には立候補届けを出しておらず、受付時間の最終17時までに無かった場合は、無投票当選が決まりそうです。
 
 本日も、朝9時からの出陣式に出席をして参りましたが、市内各地より500名を超える市民の皆様がお集まり頂く中で、元気いっぱいのご本人の力強い決意表明がありました。
 
 県下でも一番元気なまちをさらに元気にしたいと宣言され、万来の拍手をあびて、街頭活動に出発をされました。本日は、先程もふれましたが、無投票当選もあり得るとのことで、場合によりその後の予定もあるそうですので、我々は静かにその時を待ちたいと思います。
 
 今回も77項目にわたる公約を掲げての選挙戦に臨まれており、その実現に向けてしっかりと明日からでも取り組めるようにと期待をしているところです・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1970(昭和45)のこの日、鹿児島県大隅半島内之浦町で国産初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げが、東大宇宙航空研究所によって成功しました。ソ連、米、仏に次ぐ世界4番目の衛星打ち上げ国となりました。3度目の正直ならぬ5度目の挑戦で、ラムダ4Sロケットによるものでした。この「おおすみ」は日本電気が開発の取りまとめをした最初の人工衛星でした。

 15年前のペンシルロケット発射実験以来の快挙は、内之浦に集結した「おおすみ」関係者はもちろん地元町民の喜びにもつながり、関係者、町民あげての祝賀パレードとなったそうです。以来43年の間に、日本電気が開発をとりまとめたものや開発中の衛星は、暮らしや人類の英知の向上に役立つ、気象、通信、放送、科学衛星など48機にのぼっています。21世紀にはもっと多くの人工の星からのメッセージが、豊かな社会の構築に貢献するとされています・・・・!!!!

 さて、今日は建国記念日で祝日です。今朝も玄関に国旗を掲揚しましたが、最近では少なくなってまいりました。是非とも、今度は国民祝日国旗掲揚運動についてをテーマに取り上げたいと思います。

 本日は、9時より終日にわたり町内の役員会が予定されておりますので出席を予定しています。しかし、途中10時に面談協議の為に一度退席をさせて頂くほか、15時に早引きをさせて頂くことになっています。

 16時からは、彦根市のホテルにおいて、第3回の県内市町長との意見交換会が予定されておりますので出席をします。平成24年度の事業連携についてや、県事業に対する意見交換の場として多くのご意見が出されるものと思われます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 (社)全国経理教育協会が、2月10日を「簿記の日」として制定しています。これは、日本における西洋簿記学の最初の文献「帳合之法」が1873年(明治6年)のこの日に発行されたことにちなんでいます。

 「簿記」という語が最初に使用されたのは、明治6年に大蔵省が出版した「銀行簿記精法」です。簿記は bookkeepingの訳語で、「ブッキーピング」という発音の第1アクセントと第2アクセントの音を漢字に当てたものとされています。

 簿記は、その記録の方法に特徴がありますが、簿記を初めて学習する方にとって、特に難解なものが「借方」と「貸方」の概念です。簿記では、集計しやすいように記録するため、借方と貸方に分けて記帳します。

 その方法は、単なる備忘記録のための方法にとどまりません。文豪ゲーテが「簿記は人類が発明した最高のもののひとつである。」と賞賛したように、人間が陥りやすい誤りを防ぐ方法が随所に工夫されています・・・・!!!!
 
 さて今日は、10時から地方分権・行財政改革特別委員会が、彦根市の湖東合同庁舎にて開催されます。調査項目は、地方機関の現状についてですが、昨今地方機関の見直しがされているだけに取り組みの現状を伺います。

 午後からは、県立日野高校での特別支援教育に関する文科省の研究開発校の指定に係る研究発表会を見学させて頂くことになっています。この研究は、学習上・生活上の困難のある生徒に対する、一人ひとりを大切にし、個々の教育的ニーズに対応した指導内容の在り方と障害理解に関する指導方法の研究開発が注目されています。
 
 更に、夕方からは自民党第3選挙区支部長の選考会が開催されますので出席を予定しています。本日は、候補者の面接が行われることになっています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1987(昭和62)年のこの日、NTT株が上場されたことを記憶されておられる方も多いと思いますが、まさに日本経済がバブル真っ最中の出来事でした。当時大蔵省は、苦しい財政を立て直す為、少しでも高く株を売りたかった現実がありました。1986(昭和61)年9月、価格を決めるため日本株式市場初の競争入札が実施されます。事前の予想では、一株80万円ぐらいが妥当だとのことでしたが、NTTとの取引を望む機関投資家などがが、高値で応札します。結果は119万7千円でした。
 
 この価格をもとに、165万株の一般の申し込みが始まります。申し込みを1人1株に制限し、添付書類には、住民票か免許証のコピーが必要でした。当時は「国が売り出すものだから、絶対に損をさせるはずがない」「2次、3次を成功させるために、株価は上がるはずだ」そんな話が何処からともなく広まりました。
手数料を得るため、証券会社も決死の営業活動を展開します。申し込み総数1085万5224件、6.4倍の倍率でした。我が家も当時の家族3人の名前で申し込みました。赤ちゃんの名まで動員した家も多かったようです。結果は、ラッキーなことに、1株が当たりました。
 
 当時、私は、株を買ったことがありませんでした。抽選に当たった時は、払い込むかどうか?かなり迷いました。しかし、世間の噂や、テレビの報道を繰り返し聞くにつれ、NTT株は必ず上がるのではないか?と思うようになりました。そして、1987年2月9日、NTT株は、新規上場されます。買い、57万株に対し、売りは、たったの1万株で値段がつきませんでした。結局、前場は、130万円の買い気配。後場も、140万円の買い気配。初日は、とうとう値段がつきません。
 
 NTT株神話の始まりです。翌日の10日、買い気配で値段がつかず。取引終了間際、ようやく160万円で初値がつきました。株価はさらに上昇し続け4月の初めには、僅か3ヶ月で300万円を超えてしまいました。私は、その年の11月に結婚を控えておりましたので、5月か6月頃に手放し、その利益で、ニュージーランド8日間のかなりリッチな新婚旅行に行かせて頂きました。 その後しばらくしてバブル崩壊、株価は低迷を続けています。まさにあの時手放しておいて「良かった〜!」の心境です・・・・!!!!
 
 さて今日は、朝一番、草津市役所へ都市計画のことで尋ねたいと思います。その後、10時から代表者会議が招集されていますので出席をすることになっています。午後からは、神道政治連盟滋賀県本部時局講演会が栗東市「さきら」で開催されますので参加をさせて頂きます。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1958(昭和33)年のこの日、ロカビリーブームの火つけ役となった『日劇ウエスタン・カーニバル』が開催されたことにちなみ制定されました。「ロカビリー」とはロックンロールとカントリー・ウエスタンのヒルビリーをあわせた音楽で、アメリカから上陸するやいなや当時の若者たちが飛びつき、熱狂的なブームが巻き起こりました。
 
 昭和30年に設立された渡辺プロダクションによって、客足の落ちる2月に若手ウエスタン歌手を集めて開催されたのが、日劇ウエスタン・カーニバルの始まりとされていますが、ロカビリー三人男の山下敬二郎、平尾昌晃、ミッキー・カーチスらの登場で、第1回・日劇ウエスタン・カーニバルは大成功を収めました。

 この成功を受けて、息つく暇なく同年5月には、第2回・日劇ウエスタン・カーニバルが早くも開催されました。この時には、三人ひろしの水原弘、井上ひろし、かまやつヒロシが出場し、さらに観客数が増えたそうです・・・・!!!!

 この後、GSやジャニーズの出演で、日劇ウエスタン・カーニバルは1981年の「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」まで続きました。さらに、2008年10月には、第1回 日劇ウエスタン・カーニバルから50年記念の「一夜限りの日劇ウエスタン・カーニバル」が新宿コマ劇場で開催されました。
 
 ところで、昨日実施した文教・警察常任委員会の県内行政調査では、長浜市の藤井市長、彦根市の獅山市長には大変お忙しい中ご出席頂きありがとうございました。お聞きしたご意見の数々は早速持ち帰り、今後の委員会活動並びに、県立高等学校の再編計画に充分反映させて参りたいと考えています。

 さて今日は、午前中に、草津市内の要望項目についての現地調査を行う予定をしています。午後からは、知人の会社からの行政相談の回答を持参することになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1985(昭和60)年のこの日、自由民主党の幹事長・竹下登、金丸信による政策勉強会「創政会」の旗揚げが行われました。後に、「竹下派七奉行」と呼ばれる、小渕恵三、橋本龍太郎、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、奥田敬和、渡部恒三ら40名が参加しました。

 表向きは、政策勉強会でしたが、実際は、竹下総理総裁を目指すものであり、田中派の亀裂が鮮明化し、後の「経世会」の前身となるものとされています。

 その背景は次のように説明できるとされ、田中派の総帥・田中角栄元首相は田中政権後も政界に睨みを利かせ「田中支配」と云われる権力の二重構造を現出させていました。しかし、ロッキード事件に見舞われ、田中氏以来10年以上も、総裁選に自前の候補を立てることができなくなり、田中派内に不満が鬱積していたそうです。

 その気運が遂に竹下登を押し立てて「創政会」発足に繋がり、創政会発足直後、田中氏は脳梗塞で倒れますが、この後、田中派内は、竹下「創政会」グループと田中直系の二階堂グループとの対立が続き、分裂状態に陥ることになりました・・・・!!!!
 
 さて今日は、午前9時過ぎに県庁を出発し、文教・警察常任委員会の行政調査として午前中に長浜市、午後から彦根市を訪問し、長浜市の藤井市長、彦根市の獅山市長にそれぞれ出席を頂き、昨年から問題となっている県立高等学校の再編計画についての考えと取り組み状況についてを調査する予定です。
 
 この県立高等学校の再編成問題は、一旦、立ち止まり、慎重な検討を行う期間を設けることとしています。この間を利用して、現在の両市の取り組みと考えが、今後の再編計画の中でどのように生かされていくかが大いに注目されているだけに、担当常任委員会としても早急に検証し、共に滋賀の子ども達の為に最善の再編計画に取り組まなければならないと考えています・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2000(平成12)年のこの日、大阪府の横山ノック知事の引退を受けて行われた大阪府の知事選挙において、元通産省の官僚だった太田房江氏が当選を果たし、全国で初となる女性知事が誕生しました。

 大阪府知事の任期中は、大阪府の行政改革を進めることが重要課題であると率先して取り組まれたようです。しかしながら結果、問題となったのが8年を務め、その8年で借金1兆円を5兆円にまで膨らませ、その財政情報を大々的に公表して危機を訴えなかったことは有名です。

 また、就任直後の3月の大相撲大阪場所の表彰式に女性が土俵に上がれないのは男女差別だと騒ぎ立て、日本相撲協会を批判したことも、今でも議論を呼んでいます。

 更に、府庁舎に豪華な大理石の女子トイレを造り、挙げ句の果ては退職金8000万円を返還もせずに大阪を去ったことはかなり有名です。
 
 その後各地で女性知事が誕生していますが、1期目の業績以上の成果を残された方がいないのが共通するところとなっているだけに我が県も少し心配です。
 
 皆さん共に、男性以上に独裁を好み、他の意見を聞き入れようしないこととされているようで、我が県政はそのようなことはないものと信じたいものです・・・・!!!!
 
 さて今日は、午前中から県庁で、知人から行政相談を受けることになっています。更に正午からは、関西広域連合の平成24年度予算概要についての説明を受けることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 国際刑事警察機構は、1923(大正13)年のこの日設立され、犯罪捜査や犯人逮捕に携わる各国の警察の連携を図り、各国間の情報の伝達ルートの役割を果たしています。

 主な活動は、国外逃亡被疑者や行方不明者、盗難美術品などの発見、身元不明死体の身元確認などに努める「国際手配制度」や、国際犯罪および国際犯罪者に関する情報のデータベース化とフィードバックなどとされています。

 運営は、2つの非常設機関(総会および執行委員会)と、2つの常設機関(事務総局および加盟各国に設置された国家中央事務局(NCB))により行われます。NCBは自国の警察と事務総局や加盟各国の警察とをつなぐ窓口機関にあたるもので、日本では警察庁が指定されています。

 映画・テレビ・漫画などのフィクションでは「国際警察」のような描かれ方がしてますが、実体はそのような大規模な組織ではなく、各国法執行機関の連絡機関・協議体としての性格が強いものとなっています。司法警察権は各国の主催事項に属するため、たとえば「ルパン三世」の銭形警部のような、世界中で捜査活動をする「国際捜査官」は存在しないそうです・・・・!!!!

 さて今日は、9時30分からは、第6回JKJO全日本ジュニア空手道選手権大会が草津市総合体育館で開催されますので、選手の皆さんに激励を兼ねて参加をさせて頂きます。

 また、夕方からは、守山市選出の岩佐弘明県議会議員の県政報告会が開催されますので、同志として一言ご挨拶をさせて頂く予定をしています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 皆様は銀行の営業日が月〜金に変ったのはいつからだったかご存知ですか? 完全週休2日制になるまでは、土曜日も12時まで営業していましたが、それを隔週営業に変えてから、今日のように完全週休2日に移行したようです。

 それがいつだったのか調べた所、1983(昭和58)年8月から毎月第2土曜日が休日になり、3年後の1986(昭和61)年8月からは第2・第3土曜日が休日となりました。そして更に2年半後の1989(平成元)年2月4日、今日と同じ土曜日から金融機関の完全週休2日制が実施されました。

 先日も、かつて土曜日に銀行が営業していたことをもう忘れている人たちが多くてちょっと驚いていたんですが、20代以下の人たちは「覚えていない」というよりも「知らない」というのが当り前ですよぬ・・・・!!!!

 最近では、自動支払機が24時間体制で設置されている都市銀行もある他、コンビニとの提携で本当に便利になりました。但し、10万円以上の振込みは“振り込め詐欺”の関係からか相変わらず窓口対応となるため、本人なのに免許証の番号まで控えられるという正直者が疑われる不快感を感じながらの手続きとなっています。

 これでも未だにこの種の詐欺行為が後を絶たないのですから、騙される方はまず振り込む作業を何の疑いもなく当り前のようにお願いされるんだと思います。それだけ巧妙な手口で迫ってくるのですから皆様も充分ご注意願います・・・・!!!!

 さて、2月最初の週末ですが、この週末も各方面からご案内を多く頂いておりますので、それぞれ対応をさせて頂きたいと思います。加えて、2月定例議会での一般質問の取材にも時間を取りたいと考えています。議会開催前のこうした取材活動も私の議会人としての大切な活動と位置付けていますので皆様のご協力をお願い申し上げます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1946(昭和21)年のこの日、日本全国約8万社の神社を包括している宗教法人・神社本庁が発足しました。ただし、神社本庁自体は事務機関であり崇敬の対象となるものではないことから、神社では特に祭礼などは行われないことになっています。

 一般に「庁」というと行政機関と思われる方も多いと思いますが、文字自体には「やくしょ」という意味があります。しかし「やくしょ」といっても、この文字が生まれた時代には、現在のような行政機関という概念は存在しませんでした。宗教法人「神社本庁」は、全国の神社と包括関係を結んでいます。また仏教各宗派においても、例えば宗教法人「高野山真言宗」とか宗教法人「真言宗智山派」とか、宗教法人「浄土宗」などがある他、各地の寺院と包括関係を結んでいます。

 そして包括関係を結ぶことにより、その宗教・宗派内における規則・事務手続き・師弟育成などを執り行う機関も「○○派 宗務庁」「○○宗 宗務本庁」などと呼ばれます。ここでいう「庁」というのは当該の宗教・宗派において取り決められる「規則」に基づき、運営される「やくしょ」とされています。

 また、宗教法人「靖国神社」は宗教法人「神社本庁」などの包括宗教法人に属さない単立の宗教法人です。このような宗教法人も数多く存在しています。

 さらに今日は、節分ですが最近では、恵方巻といって、節分に食べる太巻きがブームになっていますが、節分の夜にその年の恵方に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。因みに今年の恵方は北北西だそうです。もう直ぐ来るバレンタインデーに期待できない私にとっては、今夜の方が一石二鳥ではと思います・・・・!!!!

 さて、今日も来年度の事業について地元対応に行動をする予定ですが、私は当局(特に財政)担当でないだけに苦戦を強いられています。誰もが望むことであれば、直ぐにでも予算化したいところですが・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 明日、2月3日は『節分の日』ですが、その前日の2月2日は『お麩の日』とされているのをご存知でしょうか!?!? このような、焼き麩だとかの乾物の麩というのは本当に頼もしいものとされており、あるときはお肉のようにボリューム感のある一品に、またある時は、おやつやつまみとしてもっちりとも、さっくりともなるとされています。この寛大な麩が大いに活用されているようです。

 麸の伝来は、中国からで室町時代(1393〜1573年)の初期にさかのぼり、当時、明との間で行っていた勘合貿易に伴い伝わって来ました。貿易に伴うとはいえ、中国へ修行に渡った僧によって持ち帰られたと考えらています。 当時は仏教の厳しい戒律から、禅僧たちは、殺生禁断、肉食を断っていました。そのため、 肉に代わる栄養たんぱく源を「大豆」「小麦」に求め、大豆は『豆腐』や『湯葉』として、小麦は『麸』として珍重されていました。
 
 桃山時代に入ると「ふのやき」と呼ばれるものが文献にも散見するようになります。この「ふのやき」は麺筋を焼いたもので、当時としては大変珍しいものであり、 食品としてではなくお菓子でありました。千利休の天正年間(1573〜1592年)に利休が催した「天正茶会百席」には、お菓子として「ふのやき」が多く供されていることが、 当時の「茶会記」に記されているそうです。
 
 さらに、江戸時台に入り、当時の文献、古文書、当時の料理の献立帳や麸の発達過程をみると、麸が如何に高価で貴重な食品であったかが伺えます。今日、市販されている麩の種類のほとんどは、西洋精白小麦粉が伝来されて来てからの麩であり、 「ひき割小麦」時代に、原料の生産方式の違いから、江戸時代当時の麸を今は見ることは出来ないのが残念とされています。
 
 麩といえば「すき焼き」や「味噌汁」の具材としてしか浮かんで来ませんでしたが、健康食品として、お菓子として多く利用されていることを今回改めて知りました。皆様も、是非多くの利用がされている「麩」を食してみて下さい・・・・!!!!
 
 さて今日は、平成24年度の滋賀県一般会計当初予算案の概要説明の為の会派総会が招集されていますので出席を予定しています。いよいよこの予算も最終の詰めの段階に入り、16日開会の2月定例会に提出されます。県民の皆様の幸せの為に当局も議会も懸命に取り組んでいます・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1991(平成3)年のこの日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領によってアパルトヘイト(人種隔離)全廃が宣言されました。
 
 アパルトヘイトは1940年代から実際のところ94年まで南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策のこととされています。これは個人の差別という話ではなく、法律で白人、カラード(混血)、インド人、黒人それぞれの居住地や使用できる施設を分け、雑婚、恋愛も禁止したものです。

 「アパルトヘイトは差別ではなく分離発展である(それぞれの人種がそれぞれの発展する)」というのが擁護派の意見でした。アパルトヘイトの目的は「白人が自分たちの生活水準を維持するため」と言われます。

 カラード(混血)が増えたり、有色人種が力をつけて自分たちの生活を脅かすようになることを嫌がり、混血が増えないように、恋愛や結婚を禁止し、お互いの接点をできるだけ減らし、有色人種には十分な教育もさせない、というわけです。

 幾多の反対運動などがありましたが第一民主戦線を中心に200万人の大暴動があり、94年に黒人政治家ネルソン・マンデラが大統領になり、アパルトヘイトは完全撤廃されました。

 でも、法的には平等ですが、古い考えを持つ白人が住む一部地域では、いまだ差別的なところは残っているようです。わざわざ白人ばかり住んでいる街に用もないのに引っ越す黒人もいませんから、そこは何となく区分けされています。

 どこの国にもいますがチンピラや不良がうろついてるので、我々日本人旅行者も変な所に迷い込むとトラブルに巻き込まれる恐れがあると旅行会社に注意されますから、それなりにシコリは残っているようです・・・・!!!!
 
 さて今日も、寒い一日になりそうですが、昨日に引き続き来年度の地元要望項目の対応の為に行動したいと考えています。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!