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 いよいよ、2011(平成23)年も残すところ今日1日となりました。既に、皆様には新年を迎える準備は整いましたでしょうか!?

 今日は、新年を明日に控え心を改め大掃除などを行う日とされていますが、夜には、除夜の鐘を108回ならし、百八煩悩を洗い清め新年を迎えます。

 もう一つ大晦日には、何といっても年越しそばがあり、「細く長く、来年も幸せをそばからかきいれる」と食べられていますが、散らばった金箔を蕎麦団子を使って集めたことからお金を集める縁起ものともされているようです。年越しそばを食べ残すと翌年の小遣いに苦労するといわれていますから、残さずたいらげましょう・・・・!!!!

 本当にこの一年は早く感じましたし、今年ほど皆が健康で年越しが出来ることを喜び合いたい年はありません。少しぐらいのホコリが残っていても大丈夫ですので、今夜は早い内に後片付けをして皆様お揃いで年越しそばを召し上がられては如何でしょうか・・・・!!!!!

 また、よしまさ日記をご覧頂きました皆様には、この一年私同様に可愛がって頂き誠にお世話になりありがとうございました。特に、連日、日記の校正までして下さった方には心から感謝申し上げます・・・・!!!!

 来年も皆様と一緒に笑顔でご挨拶できますことを心から願うと同時に、来るべき新春が皆様にとりまして健康で幸せ多き一年でありますようにご祈念申し上げます。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 「6・3・3」制──この用語は、6年制の小学校に3年制の中学校が続き、その後、3年制の高等学校が設けられるという戦後の日本で継承されてきた学校段階区分・修業年限区分として捉えられており、戦後間もない1946(昭和21)年の今日、文部省によって決定されました。
 
 しかし、新制学校制度の誕生から今日まで、当該学校段階区分に批判がなかったわけではありません。むしろ、そのスタート直後から、変更すべきであるとの声にさらされ続けてきたという方が正確とされ、例えば、戦後間もない1950(昭和25)年末ごろからしばらくの間、中学校に3年間子どもを通わせるだけの経済力を持たない家庭が少なくないことなどを理由に、中学校を2年制に短縮すべきであるとの批判の声が高まったことがあります。
 
 近年の例では、2004(平成16)年8月に当時の河村文部科学大臣が、小・中学校の区分の弾力化を含めた「義務教育の改革案」を発表して注目されました。そしてこれらの改革論のうち、いくつかは制度化され、運用もされています。例えば、1962(昭和37)年に設置された5年制の高等専門学校や、1999(平成11)年から導入された6年制の中等教育学校がその典型例とされており、中等教育学校以外の形態による中高一貫教育も同時に実施され拡大を続けています。また、自治体レベルでは小中一貫教育の実践等の試みも見られています。
 
 しかし現在、これらの学校は、その数においても、在籍する生徒・学生数においても、少数派でしかありません。日本の学校制度は、「6・3・3」という学校段階区分を圧倒的なメインストリームとして、過去60年間にもわたって保持してきたといえます・・・・!!!!
 
 高校の3年間も義務教育化すべきとの声も日増しに大きくなってきていますが、現政府の高校授業料の無償化が今後とも続けられるなら、この議論は更に深まっていくようにも思いますが如何でしょうか・・・・!!!!
 
 さて、今年も残すところ2日間となり、一段と慌ただしくなって来ました。我が家でも、一昨日から三男が、昨日から二男がともに帰省してくれて、久しぶりに家族全員が顔を揃え、男ばかりですが賑やかと言うか、狭苦しい年の瀬を迎えることになりそうです・・・・!!!!

 とは言っても、それぞれ友達との約束があるみたいで、家族が揃うのは、果たして何日あることやら!!!! また、近い内に色気のない我が家の年越しとお正月の様子をお知らせします・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 『おらが春』は、俳人小林一茶の俳諧俳文集で、彼が北信濃の柏原(長野県上水内郡信濃町柏原)で過ごした1819年(文化2年)、一茶57歳の一年間の折々の出来事に寄せて読んだ俳句・俳文を、没後25年になる1852年(嘉永5年)に白井一之(いっし)が、自家本として刊行しました。

 『おらが春』は、まったくの時系列に沿って書き記された日記ではなく、刊行を意図して構成されたものであり、さらに一茶自身、改訂や推敲を重ねましたが、未刊のままに留まっていたものとされています。

 内容的には、一部脚色や時系列を事実とは若干ずらした箇所なども指摘する研究者もあり、作品として意識されたものという性格が強くなっています。

 この書の内容としては、前年1818年(文化元年)5月に生まれたばかりの、長女さとの6月の死去、一茶の継子としての出自、浄土真宗の他力本願、より大きなものによって生かされてあるものとしての自分という信仰への帰依といった話題がその中心を占めています・・・・!!!!
 
 さて今日は、先日亡くなられた伯父さんの法要がありお参りをさせて頂いてまいりました。
 
 その関係で、今日は日記の更新が遅くなり申し訳ありません。本日は、この後恐らく今年最後の忘年会!?に18時30分から出席をさせて頂くことになっています。
 
 ところで、皆様は年賀状の方は作成され、投函されましたでしょうか!?!? 私は、ようやく住所録の整理が終わり、今夜遅くにあて先の印刷に取り掛かる事が出来そうです。
 
 裏面のご挨拶の方は、原案が出来上がりましたので、今夜最終の校正をしたいと思います。早くて、明日の夕方、遅くても31日の午前中の投函となりますので、今年も私からの年賀状は、元旦には配達されませんので、2日目以降になりますことをお許し下さいませ・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 連合艦隊の『連合』とはなんでしょうか? 多国籍艦隊ならば話は分りやすいのですが、連合艦隊は「帝国海軍」の代名詞とされています。日本だけのもので、『連合艦隊』とは、複数の『艦隊』が統一運用された軍事機構のこととされ、話は日露戦争まで遡ります。

 当時日本は「常備艦隊」〔外国と戦闘できる能力を持った主力艦および補助艦艇で構成〕と「予備艦隊」を保有していました。常備艦隊は第一艦隊と第二艦隊に分かれ、それぞれに司令官がいました。

 このままで戦争に突入すると、戦闘指揮上不便ですから、ふたつの艦隊をあわせて「連合艦隊」を編成した日が1903年12月28日とされています。この連合艦隊の司令長官が東郷平八郎中将でした。東郷率いる連合艦隊は、日露戦争時の日本海海戦での大勝利を収め、日露戦争を終結させました。

 世界一の有名人となった東郷平八郎が「連合艦隊解散の辞」で述べた、「勝って兜の緒を締めよ。」で終わる平時における軍人の心得は、アメリカ大統領ルーズベルトを感激させました。

 その後、過ぐる大戦で、日本の主要都市は焼け野原になりました。「超空の要塞」と呼ばれた爆撃機、B29の弾倉から雨のように降り注ぐ焼夷弾に逃げ惑いながら、多くの日本人が「帝国には連合艦隊があり、秘密基地に潜んで敵が近づくのを待ち構えており、ときが来れば艦隊決戦を挑み、一挙にこの情勢を逆転してくれる。」と本気で信じていたといいます。
 
 現代社会も、このように過去の栄光にすがって現実を見誤る、または直視しようとしない現象があり、『連合艦隊幻想』と呼ばれています。最近では、“バブル経済”がその良い例です。

 さて今日は、官公庁の仕事納めの日です。今年一年、多くの皆様のお蔭をもって、一年を締めくくる事が出来たと感謝を申し上げたいと思います。また、東北地方では、東日本大震災発生後の復旧・復興が大きな課題として残されていますが、残されたご家族や多くの皆様との絆をあらためて気づいた一年であったように思います。
 
 皆様にとって、来るべき新春が感謝のまごころでお迎え頂ける様に心からお祈り申し上げます・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1870(明治3)年12月1日は、はがきの発行記念日ですが、また、たまたま「お年玉つき年賀はがき」の発売も戦後の昭和24年(1949)の12月1日だそうですから、郵便事業にとっては、12月1日が二重の記念日になるようです。

 更に、1884(明治17)年のこの日、往復はがきが発行されました。復はがきの発信者(代表幹事・招待者・主催者など)は、返信用の宛先の下に「宛」または「行」と書きます。

 同封する場合の返信用はがきも同様にします。また、往復はがきを投函する時は、往信の宛名と返信の文面が外側になるように折って出します。この時、折っていないと「往復はがき」とみなされませんので注意しましょう・・・・!!!!

 さて、今日は午後から、第158回滋賀県都市計画審議会が午後1時半から滋賀県庁東館7階大会議室にて開催されますので、議会選出の委員として出席を予定しています。

 また、今夜から草津市では年末夜警が開始され、午後9時から出発式があります。私は、地元の第二分団の詰め所(草津市青地町)に激励に伺う予定をしています。
 
 皆様も、年末何かと慌ただしくなって参りましたが、くれぐれも火の用心には細心の注意をお願い申し上げます。(タバコのポイ捨てにもご注意願います・・・・!!!!)
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1991(平成3)年のこの日、ソ連最高会議で、ソビエト連邦の消滅が宣言された日とされています。そこで、ソビエト連邦が何故崩壊したのかをぜひ知りたいとの思いから少し調べてみました。
 
 簡単に言えば共産主義国では、国民全員が働いて国民全員が平等に富を受け取る事が大原則ですが、そこは人間、悲しいかな、他人より楽をして他人より良い生活を送りたい、と考える人間が出てきます。そう考えた人は、共産党に入党し、手段を選ばずに党内で偉くなろうとします。そんな考えを持った人達の多くが、実際に共産党の上層部に巣くってしまい、共産主義国家に存在する筈の無い、貧富の格差が生まれ、それを不満に思う国民が多数発生します。

 さて、国内の経済状態は、党の一部の人間が独占的に予算配分などを決めてしまう為、滅茶苦茶になり始めていますので、そこに、大声で、「民主化すれば裕福になれるぞ!」と誰かが叫べば、もはや崩壊を止める方法は無くなってしまいます。 (どこかの国と少し似ています・・・・!!!!)

 次に、ソビエト連邦の様な巨大な国家集合体の全国民が、必ずしも共産主義を理解し高潔な目標を達成しようとは思っていなかった事にも要因があるとされています。多くの人々は、労働の割には生活が楽にならない事に不満を抱きますが、こういった不満はどこの国にでもあります。

 しかし、政治構造が硬直化しすぎていると、こういった不満を上手く処理しきれなくなります。国家に力がある時は、強権発動で、鎮圧してしまうのですが(天安門事件の様に)、あの時の最高権力者であるゴルバチョフ氏は、逆にこの不満の声を利用して、硬直化し腐敗し始めていたソビエト共産党の古い権力を打倒しようとしました。

 結局は収集不能のまま、クーデター騒ぎなどに巻き込まれたりもしましたが、現に彼はノーベル平和賞を受賞するに至ります。これはソビエト共産党の支配体制があまりにも非民主的であった為、民主主義国家である西側諸国から見ると非常に勇気ある、そして民主的な解決を彼が実行し成功させたものと評価されたことにあるとされています。
 
 さて今日は、午前中に自民党の第3選挙区のことで相談を持ち掛けられていますので時間をとりたいと思います。午後からは、広報の為に事務所で打ち合わせを予定しています。終了次第に県庁での作業を予定しています。今夜は、若手の有望な皆様との意見交換の場も予定しています・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 この曲は、当初生田敬太郎が『ひらけ!ポンキッキ』の番組内で歌っていたものですが、1975(昭和50)年のこの日にオリジナルのシングル盤としてキャニオンレコードから子門真人の歌唱で発売されました。

 すると、翌年1月10日時点で出荷枚数150万枚・予約待ち50万枚オリコン史上初のシングルチャート初登場1位・11週連続1位となり、現在までにオリコン調べで450万枚以上(オリコンにカウントされない売り上げを含めると、実際は500万枚以上ともいわれる)のレコード・CDを売り上げているそうです。

 日本におけるシングル盤の売上記録としては未だに破られていないそうです(2011年2月現在) 1976(昭和51)年の第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞しています。
 
 皆様のなかにもこの曲をカラオケ等で歌われた経験のあるのではと思うのですが、ヒットしていた当時も、サラリーマンのお父さん達が皆で合唱されていた光景が思い出され、毎日毎日同じような所で仕事をする事が嫌になっちゃうと嘆きの部分を当時のお父さん達は重ね合わせていたのかも知れませんね・・・・!!!!
 
 ちなみに、今日までのシングル売上ベスト5は、1位は何といっても「およげ!たいやきくん」(子門真人)で、4,547,620枚。2位は「女のみち」(宮史郎とぴんから兄弟)で、3,256,460枚。3位は、「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)で、2,934,965枚。4位は、「だんご3兄弟」(速水けんたろう・茂森あゆみ)で、2,918,220枚。5位は、「君がいるだけで」(米米CLUB)で、2,895,060枚となっています。
 
 いずれの曲も、その年度の代表だけでなく、今でも機会あるごとに歌われ愛されているような気がします。皆様のなかにもこのうち何曲かはカラオケのレパートリーになっているのではないでしょうか・・・・!?!? クリスマスをカラオケでお楽しみの皆様には是非挑戦してみて下さい・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1906(明治39)年12月24日フェッセンデンが、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送したとされています。フェッセンデンはこの日、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」と、自身のバイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読しました。この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもあり、彼は「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」とされています。

 ちなみに、日本でのラジオ放送の第一声は、遅れること19年後の1925(大正14)年3月22日とされ、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始めました。 東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、?聞こえますか? JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します。」という第一声が放送されたそうです。

 クリスマスイブにふさわしいアメリカの幕開けに比べ、「アー、アー、アー、聞こえますか?」の日本は何事もいっぱいいっぱいの状況が伝わってくるような気がします。日米の外交施策を比較しても正しくその通りで、相手の顔が見えないと余計に気遣いと言うか、ゆとりが感じられないと思うのは私だけでしょうか・・・・!?!?

 さて今日は、先程もふれましたがクリスマスイブです。近くの教会でキリスト降誕の前夜祭としてのミサに参加されるご家族もおられるそうですが、皆様は如何お過ごしでしょうか・・・・!!!!

 我が家では、子供の成長と同時に恒例行事もなくなり、お父さんサンタさんのお役目は、三男が小学校を卒業と同時に廃業いたしましたが・・・・今では、サンタさんの服装だけがやけに似合いそうな体型が心配です。 皆様にとりまして、思い出深いイブになりますようにお祈り申し上げます・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1953(昭和28)年のこの日、東京・青山にわが国初のスーパー「紀ノ国屋」がオープンしました。対面販売をしないセルフ方式の初めての店舗として一躍有名になりました。開店時の品数は600と、今では少なめでしたが、クラフト製の紙袋をショッピングバッグとして使い、これが紙袋ブームのきっかけとなったと言われています。こうして我が国における小売業の歴史に新しい1ページが開かれました。

 この4年後の1957(昭和32)年、「主婦の店ダイエー」が大阪に1号店を開いたのをはじめ、1963(昭和38)年には「長崎屋」がスーパーとして初めて株式上場するなど、本格的なチェーンストア時代が訪れました。

 この新しい販売方式の近代化の灯は、またたく間に全国に広がり、昭和33年3月26日、この新しい販売方式の導入に積極的に取り組んできた先駆者150名が参集して「日本セルフ・サービス協会」を発足させ、それから5年後、積極的な活動の成果が公に評価され、「社団法人日本セルフ・サービス協会」として第一歩を踏み出しました。

 1982(昭和57)年、各都道府県に設立されたスーパーマーケット協会が団結し、全国スーパーマーケット協会が発足し、翌年には社団法人として設立され、経済産業省所管の公益法人として活動を開始しました。

 2009(平成21)年8月には、全国スーパーマーケット協会と日本セルフ・サービス協会が、食品スーパーマーケット業界の地位向上、“戸籍”の確立を目指し、合併しました。各種法制度への対応をはじめとする情報の一元化を図り、合併から1年を迎えた平成22年9月、団体名を「社団法人新日本スーパーマーケット協会」に変更されました。現在の加盟の会員企業は、総合スーパーマーケットチェーンや食品を主体とするスーパーマーケットを含め、412社、約7,500店とされています。

 さて今日は、天皇の誕生日を祝う国民の祝日でもあります。1933(昭和8)年のこの日、皇太子継宮明仁親王(今上天皇)が誕生されました。今年で78歳をお迎えになり、秋に少し体調を気遣うニュースも報道されましたが、すでに回復され公務に御付頂いているご様子で安堵しておりますが、どうかご無理はなさらないで頂きたいと思います。今日は、国民の一人として天皇のご誕生日をお祝いし、ご健康をお祈り申し上げたいと思います・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1947(昭和22)年12月22日、「民法改正法」が公布されました。「民法」の第四篇と第五篇を全面改正し、家父長制の家族制度が廃止され戸籍が夫婦単位となりました。

 民法とは、民法典、あるいは私法の一般法のこととされていますが、形式的意義における民法とは、制定法である「民法」という名の法律、いわゆる民法典のことをいいます。

 具体的には、1896年(明治29)年、法律第89号の別冊として編成された民法第一編第二編第三編(総則、物権、債権)及び1898(明治31)年法律第9号の別冊として編成された民法第四編第五編(親族、相続)の形式上二つの法典が民法典とされています。

 また、一年中で最も昼が短く、夜の長い冬至でもあります。朝っぱらなんですが、今夜はゆず湯に入りゆっくりと温まっては如何でしょうか・・・・!!!!

 さて、昨日で11月定例会が閉会しましたが、閉会にあたりの知事の発言の中で、県の流域治水基本方針案について継続審議としたことについて、かなり市町との意見の食い違いがあると感じました。

 これでは、基本方針を受けての条例化についても遅れることは免れないと感じずにはいられなかった次第です・・・・!!!!

 ただ、市長会からの要望書の中身が、自民党県議団に出された内容と、民主党ネットや対話の会へ出された内容では、削除されている2通りあることが指摘された事が納得いきませんでした。

 いずれ政調会などを通じて議論されると思いますが、我々も市町の意見を尊重して下した判断だけに、この事が今後の判断の過程で何らかの影響が出ないことを願っています・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 紀貫之による古典名作『土佐日記』は、934年(承平4)のこの日から書き始められています。「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」の冒頭文の日付が12月21日とされています。現代語に訳すと「男の人も漢文で書くと聞いている日記というものを、女の私も仮名文で書いてみようと思い、書き記す。」となるそうですが、高1の古典の授業で習ったことを覚えています。

 土佐の国から始まる55日間の紀行記は、帰京した翌年2月16日で終わっています。その間の船旅の様子を、虚実と57首の和歌などがまぜてまとめられています。

 わが国最初の和文による旅日記体の作品で、平安期の日記文学のさきがけとされ、国守の任期を終え、土佐国を出発して京に帰る道中のできごとを記述したとされています。

 紀貫之は、架空の女性を筆者として、その目を通して道中に出会ったさまざまな人物やできごとを観察させています。貫之自身もその対象となっており、時には笑われたり、からかわれたり、同情されたりしています。また、歌人・貫之の和歌に対する意見も随所にちりばめられ、歌論書めいたところもあるそうです。
 
 さて今日は、11月定例会の閉会日にあたり、10時から本会議が開会され、各常任委員長報告の後、討論があり、採決がされることになっています。今期定例会でも多くの議論がありましたが、こうした議論が多くの県民の皆様に届いていないとする議会改革検討委員会からの指摘もあったことを受けて、これからも県民の皆様の幸せのための県議会であり続けるために検討委員会も立ち上がることになったところです。

 本会議終了後には、会派総会も予定されている他、夜は、会派の望年会も予定されていますが、私は伯父さんの告別式に参列のため欠席届けを出したところです・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1952(昭和27)年のこの日、7500万年前に絶滅したとされていたシーラカンスがアフリカ・マダガスタル島沖で捕獲され学術調査が行われました。

 1938(昭和13)年に南アフリカで捕獲されて生存は確認されていましたが、学術調査が行われたのは初めてとされています・・・・!!!! この事を受けて、この日を記念日としました。

 実は地元の漁師さんに時々捕獲されていたそうで、もちろん漁師さんは学術的に貴重な魚だとは知らず、シーラカンスが市場に並べられていたこともあるそうです。シーラカンスの味はというと「水っぽくて不味い」とのことで、古代魚シーラカンスが現在まで生き残れた理由は「魚としての味の問題」なのかもしれませんということも言えるのではとされています・・・・!?!?

 さて本日は、午前中は市内の後援会のお世話を頂く皆様に、新年行事のご案内を持参したいと思います。その後、14時からはがん対策議連の研修会が予定されていますので出席をさせて頂きます。

今夜は、91歳の天寿をまっとうされ入院先で先日亡くなった親戚の伯父さんの通夜に参列をさせて頂くことになっています。

 ところで、昨日の地方分権・行財政対策特別委員会でのことですが、今期定例会での一般質問でも取り上げられた知事公舎の使用状況について質問をしたところ、1年365日の内、土日を除いて知事は公舎にいるのが基本だそうです。しかしながら、東日本大震災発生の3月11日(金)と翌12日(土)の2日とも公舎には不在で、夜はご家族と一緒に過ごされたそうです。
 
 ちなみに、東日本大震災を受けて滋賀県の防災対策会議が招集されたのは、発災5日後の3月16日とのことですので、危機管理の対応策の課題を指摘する意見も出されたところです・・・・!!!!

さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1984年のこの日、香港の主権を1997年に中国に返還することを決めた8項目の「香港問題に関する中英共同声明」(合意文書)と三つの付属文書の正式調印式が12月19日、北京の人民大会堂で行われました。

 中国を代表して趙紫陽首相が、英国はサッチャー首相が合意文書に調印しました。翌年6月30日までに批准書を交換、合意文書が発効され、これにより、1842年のアヘン戦争の敗北以後、英国に割譲された香港が、13年後の1997年7月1日をもって、中国の主権下に戻ることが国際法上確定しました。

 合意文書の内容は、9月の仮調印のあと公表されており、それによると、香港の主権が中国に返還されたあとも50年間、香港の現在の社会体制、つまり、資本主義体制が維持されることになっており、中国共産党にとっては画期的な資本主義の強調の場となっています。

 さて、今日は終日に亘り、地方分権・行財政対策特別委員会が開会される事になっています。関西広域連合や公務員の給料を巡っての当局との説明を受けての議論が注目される事になりそうです・・・・!!!!
 
 本日は、帰宅途中にご支援を頂いているお宅を訪ねる予定をしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1914年のこの日東京駅が開業しました。当時は国有鐵道の時代です。日本の鐵道は1872年10月14日に新橋と横浜間の陸蒸気開業で始まりました。この新橋駅は後の汐留駅で、現在は売却されて再開発がおこなわれている最中。横浜駅は現在の桜木町駅です。

その後民間の積極的な投資があって全国に多数の鐵道が敷かれますが、政府は1906年鐵道国有法を制定し、全ての私鐵を国有化してしまいます。
 そして戦後は公共企業体「日本国有鉄道」となり、巨大な赤字を生み出して1987年分割民営化されました。

「鐵」なら「金の王なる哉」ですが「鉄」では「金を失う」ですから赤字を出したんだろう、というのはよく言われる話です。

1914年(大正3年)にできた東京駅は赤いレンガの美しい建物。大正ロマンの開花を思わせるようなデザインです。このそっくりさんが韓国のソウル駅とされています。

 さて今日は、先日依頼のあった行政相談の件で、午前中に友人宅を訪ねる予定をしています。

 その後、本日は11時からクサツエストピアホテルにおいて、清水正樹草津市議会議員の第59代市議会議長の就任を祝う会が行われますのでお祝いに伺う予定をしています。

 清水議長には、これからの草津市の発展と、12万4千市民のよりよい市民生活の実現のために、誠心誠意、円滑な議会運営に努めるとともに、議会の更なる活性化や、議会機能の向上に向けて取り組んで頂きたいと期待をしております。

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 新たに高齢者福祉を扱うシステムが必要となったことを受けて、登場したのが介護保険法とされています。それ以外に老人の社会的入院が非常に多く、介護分野において新たな社会保険方式が必要となったという経緯もあるとされています。

 要介護者等について、介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定めることを目的とする法律とされています。
高齢者の在宅での支援について考える制度に反対する理由はありませんし、むしろ積極的に援助の手を差し伸べる必要があるとされています。

 しかしこのままこの制度が施行されるなら、現場での混乱が目立つことから、多くの方より問題点が指摘されています・・・・!!!!

 さて本日は、午前中に同志の市議会議員の皆さんに1月の後援会行事のご案内を持参したいと思います。その後、13時30分から志津地区まちづくり協議会の設立総会が志津公民館で開催されますので出席をさせて頂きます。

更に、15時からは、「第5回地域で彩るコラボレーション」と題した南笠東学区の集いが開催されますので参加をさせて頂きます。
 夕方からは、志津地区のまちづくり協議会の皆様との懇親の場も予定されておりますので、再度合流をさせて頂く予定です。

さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1941(昭和16)年、今から70年前の12月16日の今日、戦艦大和は竣工され、艦籍に入り、連合艦隊の第一戦隊に編入されました。
 航空機の圧倒的な攻撃力を世界に示した真珠湾攻撃(同年12月8日)から、わずか1週間ほどしか経っていない出来事でした。

 世界最大最強の戦艦として誕生した大和ですが、もはや戦場には大和の活躍する場所はなくなっていました・・・・!!!!
 戦艦大和建造にあたっては、延べ1500万人以上もが動員され、試算では1億3780万円もの費用がかかったと言われています。

 この試算をもとにすれば、これは当時の国家予算(一般会計歳出)の6%にあたり、現在の国家予算に当てはめれば4兆円以上という、最先端技術を投じた壮大な国家プロジェクトでした。

 大和は、全長263メートル、最大幅38.9メートル、基準排水量6万5千トンという大きさで、現在においても史上最大の戦艦とされています。

 さて今日から各特別委員会が開会されます、私の所属する地方分権・行財政対策特別委員会は来週の月曜日に開催されますが、今議会で話題となっている流域治水問題が議論される温暖化・流域治水対策特別委員会が開会されます。

 各市町の意見がどのように反映され決着をみるのか議論の行く末を傍聴も含めて伺いたいと思います・・・・!!!!

さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1963(昭和38)年12月8日、赤坂のキャバレーでの喧嘩で暴力団員に刺されたプロレスラーの力道山は、一週間後のこの日ついに死亡しました。13歳で二所ノ関部屋に入門して力士となりましたが、大関を目前にして廃業、プロレスラーに転向しました。

 その後は日本プロレス協会を設立、プロレスの全盛時代を築いて爆発的な人気を博しました。なかでも空手チョップのあまりの人気に、テレビに出演した時は「私たちは平素から十分鍛えてあるからいいのだが、君たちは決して、こんな真似をしてはいけませんよ」と茶の間の子どもたちに向かって注意する気の使いようもあったようです。

 ただし、普段の練習は鬼のような厳しさだったことは有名です。享年39歳でした。私は当時6歳で、力道山の活躍の記憶はあまりありませんでしたが、娘さんと称する方が後に歌手デビューしてテレビ出演していたことが記憶にあるような気がするのですが果たして本当でしょうか・・・・!?!?

 さて今日は、9時30分から会派総会が県庁で開催されます。その後、草津へ戻り10時30分より地元の県道工事のことで南部土木事務所へ伺うことになっています。午後からは、再度大津へ戻り13時から文教・警察常任委員会が開会され、本日は教育委員会の所管部分の審査が予定されています。

 委員会終了後の15時30分から各会派による代表者会議が招集されています。16時から議員全員による研修会があり、18時からは常任委員会ごとに望年の会も予定されるなど本日も結構ハードな一日になりそうです・・・・!!!!

 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 大阪市に本社を置く株式会社カウカウフードシステムによって、代表取締役会長のマダム信子氏の誕生日にちなんで制定しました。

 自社ブランドの「マダムシンコ」はオリジナリティーあふれる発想と、深いおもてなしの心で作るひと味ちがう新感覚のスイーツで人気のお店だそうです。「バウムクーヘン」「マダムブリュレ」「とんがりシュー」などの人気商品があり、連日行列が出来るほどだそうですが、残念ながら私はまだいただいたことがありません。
 
 この代表取締役会長の自叙伝的なテレビ番組を見た記憶がありますが、ご自身は兄弟が多く幼い頃からご両親が苦労をして育ててくれた事や、数多くの仕事にいつもどん底から這い上がってきたことが紹介されていました。
 
 今話題となっている「マダムブリュレ」は、幼い頃に母親が作ってくれたおやつのホットケーキにかかっていたメイプルシロップにヒントを得たと熱く語っておられたことを記憶しています。 是非皆様も、機会がありましたらご賞味下さい・・・・!!!!
 
 さて今日は、9時より会派総会が招集されています。その後10時からは常任委員会が終日予定されています。終了後の15時30分からは、私が会長を務めています難病対策推進議員連盟の会議があります。

 本日の夕刻18時からは、地元の奥村次一市議会議員の後援会役員会にも出席をさせて頂き、その後懇親の場もあります。この時期は連日の懇親の場が続きますので体力とも勝負しなければなりません・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 美容師の正宗卓さんによって2003年に制定されました。12月は美容室に多くのお客さんが訪れる月であることと、13日の「1」と「3」をくっつけるとBeautyの頭文字Bになることからとされています。

 “年の終わりに贅沢に美しくなっていただく”というコンセプトで始められたものです。また、美容界全体で社会貢献をしようと、この日は盲導犬育成のための募金を呼び掛けています。

 男の私は幼い頃から床屋さんというか、近くの散髪屋さんで髪型をきめていただいていますが、最近では女性だけでなく、男性の方も美容室でバシッときめて頂いている方々も多いようです。

 実は、我が家の3人の息子達も好みの髪型というか、流行の髪型があるとかで、揃って美容室へ通っています。 3人ともに高校卒業までは運動部(野球部等)に入っていたために、自宅で母親にバリカンで丸坊主にして貰っていたのに、変れば変るものです・・・・!?!?
 
 さて今日は、午後から県教育委員会のご担当の方々よりの説明を伺うことになっています。更に、17時からは、県内の市町長の皆様との合同会議が近江八幡市の人権センターにて開催されますので出席を予定しています。
 
 夜は別件でのちょっとした忘年会も予定されています。何といっても今年2回目の県内市町長との懇談では、昨今の県政での課題についての意見交換の場とあって多くのご意見がでるものと楽しみにしております。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 韓国伝来の辛子明太子が初めて日本に到来した地は山口県下関とされています。その下関市で明太子専門業として、辛子明太子を全国に普及させてきた前田海産株式会社によって制定されました。

 日付は日本で初めて「明太子」という名称が新聞(関門日日新聞)に登場した1914年(大正3年)12月12日に由来しています。

 また、第二次大戦後、引揚者として博多に居を構え、商売を始めたふくや創業者・川原俊夫氏にちなむ日もあります。川原氏は妻・千鶴子とともに小さな食料品店を開き、「何かこの店の目玉となるもの、お客さんに喜んでもらえるものを売りたい」と、子供時代に親しんだ「メンタイ」を、日本で紹介しようと思いつきました。

 原料のたらこを記憶をたよりに味つけし、商売の神様、十日恵比須神社の縁日にちなんで、1月10日に初めて、店頭に並べたのが、「明太子の日」のはじまりとされる説もあります。

 どちらの説もこと「明太子」にちなんでおりますのでお許し頂き、何かの時には二つの理由を思い出して下さいませ・・・・!!!!

 さて今日は、一般質問4日目をむかえ、6名の方が予定されています。また、今夜はちょっとした会の忘年会も予定されておりますのでそちらの方にも顔を出す事になっています。

 いよいよ今年も本格的な忘年会シーズンですが、今週から来週にかけて、実に多くの忘(望)年会にお声を掛けて頂いており感謝しています・・・・。
 
 あまりお酒の強くない私にとっては、一種の修行の場のような気も致します・・・・!?!?
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 2011年3月11日の東日本大震災で多くの人が、「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じたことと思います。 私は、この大震災発生後にテレビのインタビューに応えた被災者の声で忘れられない言葉があります。
 
 その方は、取材陣から「今、一番必要なものは何ですか!?!?」と尋ねられた時、素直な気持ちでそっと応えられた言葉が「今必要なものは、支え合う愛です!!!!」と幼い子供さんを抱きしめられながらお答えになりました。
 
 以来、この言葉は私の脳裏を離れる事はありません。国難と言われている悲惨な状況の時に、この言葉を投げかけて下さった方に心から感謝を申し上げたいと思うと同時に、毎月11日を『支え合う愛の日』と制定したいと考えています。 是非とも多くの皆様にご賛同を頂けますようにお願い申し上げます・・・・!!!!
 
 さて、本日も多くのご案内を頂いております。先ず9時より草津市民体育館において、近隣市町バレーボール親善大会が開催されますので、激励の挨拶に伺います。10時からは、町内の文化講座が開催されますので出席をする予定です。
 
 12時からは恒例となっています、「若竹会クリスマスパーティー」がエストピアホテルにて開催されますので出席をさせて頂き、乾杯の発声をさせて頂くことになっています。この会の途中になりますが発声後に町内の会館に戻り、町内行事のお手伝いをすることになっています。夜は、自宅で過ごす事が出来そうです。
 
 皆様も、師走に入り日ごとに慌ただしくなって参りますが、どうか風邪等には十分ご注意をいただき暖かくお過ごし下さい・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 外食産業の株式会社すかいらーくが、2009年12月10日に「すかいらーくガスト」の新メニュー「ハミ出るビーフステーキ」を登場させたことから制定されました。

 お皿からハミ出してしまうほどのボリュームを「ハミ出してごめんね」と逆説的にアピールして、コミュニケーションをはかるのが目的とされています。関連サイトの「謝り美人」などのプロモーションも人気となっています。
 
 私はてっきり、誰かが何かをしでかして一生懸命に謝っている姿を想像してしまいました・・・・!?!?
 
 まっ実感ですが、何処かの国の大臣みたいに、悪い事をしても決して自ら謝らずに、開き直って聞く耳持たずではその内愛想付かされますよとご忠告申し上げたくなります・・・・!!!!
 
 お互い、何かでもめた時は、素直に「ごめんね!」の言葉を一番先に伝える事ができればもめることはないのですが!? それには十分人間関係を大切にしておきたいものです。

 さて今日は、13時より西田剛市議会議員の後援会の役員会に挨拶に伺うことになっています。その後、16時からは、アヤハレークサイドホテルにおいて、平成23年度の滋賀県遺族会の皆様との意見交流会が予定されていますので出席をさせて頂きます。

 今日は、この冬一番の冷え込みとなり寒い朝になりました。日中もそんなに気温は上がらないそうですので、この週末の外出には十分暖かい装いでお出掛け下さい・・・・!!!!
 
 また、今日もお仕事の皆様には、休日返上のお勤め誠にお疲れ様です。どうか、お風邪などには十分ご注意下さいませ・・・・!!!! 
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 12月は1年最後の月であり、「地球(ちきゅう[9])」にちなみ、あらゆる命の源である地球に感謝してその思いを多くの人に伝える日として、2002年9月に青木稚華氏によって制定されました。
 
 母なる地球に感謝する日だそうです。地球の大事さをこまめに思い出す意味でも、時折こんな日があっても良いかも知れません・・・・毎日だと有難味が薄れますけど!?!?

 こうしたひとつひとつの現象を、単体で捉えるのでは無く、総体的なものとして受け止め、対象化する科学体系のことを、複雑系の科学とか呼んだりします。

 地球をひとつの生命体として見る考えかたなんかはまさにこの体系に属するわけです。その中では、我々人間も、地球というものの単なる構成要素にしか過ぎないわけです。
 感謝・・・・すべきか!?!? ミトコンドリアが我々人間に感謝してるのか、という話になりそうですが・・・・!!!!

 さて、一般質問3日目であり、本日も6名が予定されています。今日の2番目に私の順番ががまわって参ります。通告に従い3点にわたり質問をすることになっていますが、各担当の皆様には何度もお越し頂き感謝いたします(ペコリ)。
 
 本日は終了後に、来週に予定されている常任委員会の正副委員長への事前説明を受けることになっています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 「もんじゅ」は、動力炉核燃料開発事業団(現在は日本原子力研究開発機構)が福井県敦賀市に設置した高速増殖炉です。 高速増殖炉は、原子力発電所でウランを燃焼させた後に発生するプルトニウムを燃料に用います。そして、エネルギーを生み出す際、消費するプルトニウムより多いプルトニウムを生産出来るため「夢の原子炉」と言われていました。現在、日本、ロシア、フランスなどで、技術開発が進められています。
 
 しかし、原子炉の冷却材として用いられる金属ナトリウムは、水と極めて激しく反応する性質を持つことから、その管理が難しいという技術的な課題があることや、通常の原子炉よりも建設に費用がかかることなどから、開発を取りやめる国が相次いでいます。
 
 この事故は、もんじゅの運転を開始するため、高速増殖炉の出力を上昇していたところ、原子炉の二次冷却系のナトリウムが漏れたことを知らせる警報があり、職員が現場を確認したところ、ナトリウムが漏れたことに伴い火災が起こり、白い煙が立ちこめていることがわかりました。

 その後、火災が発生した場合には高速増殖炉を直ちに停止することがマニュアルに定められているにもかかわらず、徐々に出力を降下させて停止させようとしたことから、火災はさらに大きくなり、結局高速増殖炉を緊急停止することで、火災を沈静化させました。
 
 今回の福島原発での東電の対応を見ているとこうした原発事故後の対応次第で住民や国民の受ける影響が大変重要である事は言うまでもありませんが、政府の一元管理下での対応は出来ないものかと多くの課題を感じています。

 さて、今日も昨日に引き続いての一般質問が行われることになっており、本日も6名の皆さんがされることになっています。私は、明日ですので原稿の最終チェックをしたいと思います・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 池田勇人は「所得倍増計画」で有名で、わかりやすいビジョンを掲げることを知っている名宰相でした。しかしながら池田勇人といえば、何と言っても大蔵大臣時代のこの日に発言した「貧乏人は麦を食え」という名(迷)言を思い出す人が多いと思います。国会で大問題となった発言ですが、あれほど悪意でもってねじ曲げられた正論コメントは珍しいとされています。

 当時は物価の上昇が問題となっており、消費者物価の上昇があるのでインフレで引き締め政策を採るべきだとする議員に対して、経済に強い池田氏は「卸売物価が上がっていないのでインフレではない、消費者物価が上昇するのはサービス価格の上昇によるもので経済が豊かになるにつれて当然起こる正常なもの、コメの値段が上がって困るというがムギの値段は上がっていない」と理路整然と回答しました。

 これを野党とかマスコミが「貧乏人はムギを食えと言うことか」と大反発し、それがいつの間にか「池田勇人が貧乏人はムギを食えと言った」と言うことになってしまったものだそうです。今も昔も、扇動的マスコミは嫌らしいとしています。

 よって、池田勇人が言ったという名(迷)言は、事実とは違うとされていますが、仮にそう言ったとしても、今となって考えるとこれは「迷言」ではなく「名言」だされており、白米は栄養が偏っており、食べ過ぎると健康によくないことからだそうです。戦前多くの陸軍兵士が白米の食べ過ぎで脚気になって死んでしまったことを見れば明らかだそうで、ムギの方がよほど良いとされています。
 
 今や、名言を残す日本の名宰相の出現は全く期待されず、首相も大臣も迷惑発言ばかりが目立っているのが現状です。こうした政治家を選んだのは我々国民ですから、次の衆参の改選期にはしっかりと民意を反映した結果を出したいものです・・・・!!!!
 
 さて、今日から一般質問が4日間に渡って行われます。本日は7名、明日から12日の月曜日までは6名がそれぞれ予定されており、私は9日(3日目)の2番手で発言することになっています。
 
 肝心の原稿の方もようやく出来上がり、本日の朝には担当課の皆様にお渡し出来そうです・・・・!?!? そうなるといいなと思って徹夜で仕上げていますがどうなることか・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 漫画家で「姉妹型研究家」の畑田国男さんによって1992(平成4)年に提唱されました。 妹の日」(9月6日 )の3箇月後であることと、この日が祝日の聖ニコラウスにまつわる三姉妹伝説からとされています。

 ちなみに「妹の日」を調べてみると、現代に活躍する女性の多くが妹であることを発見した「姉妹型研究家」の畑田国男さんが1991(平成3)年に制定したもので9月6日は、妹の可憐さを象徴する乙女座の中間の日のイブ(前日)が、占星学上最もふさわしいとされたからだそうです・・・・。

 以前、出生の面で、一子、二子、三子と生まれると、先に生まれてきた子の方が、後から生まれてきた子よりも、DNA的には、頭の良い確率は高いとかいった話を聞いた気がします。

 本当かどうかは知りませんが、なんとなくそのような感じはします。ただ、先に生まれてきた子に比べ、後から生まれてきた子は、先に生まれてきた子のモデルがあるため、それをじっと見ていて、先に生まれた子には出来なかったことを学習することが出来ます。

 多分、上の子よりも、色々学ぶチャンスがあり、確りと育つのだろうと考えられます。その分上の子、長男、長女は、次男、次女などに比べ、おっとり、のんびりしているのではないでしょうか!?!? 今日は、姉の日ですので、姉の方が、もって生まれた頭脳は良いことにしておきたいと思います。

 さて今日は、朝一番行政相談の依頼があり、その方を訪問する事になっています。その後は終日質問の原稿作成にあてたいのですが、午後からは、がん議連の勉強会も案内されていたり、依頼事項の確認もあったりと予定が重なりなかなか厳しいものがあります・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 フエルアルバムをはじめとして、製本、シュレッダーなど情報整理製品の総合企業であるナカバヤシ株式会社によって制定されました。一年最後の12月はその年の思い出をアルバムにまとめる月とされています。
 
 そして「いつか時間が出来たら」「いつか子どもが大きくなったら」「いつか・・・」と後回しにされることなくアルバムづくりをしてもらいたいとの願いを込めて、その5日(いつか)を記念日としたものだそうです。
 
 まさにその通りで、いつか作ろうではなくて、いつか(5日)に作ろうは的を射ているような気がします。実は私も、数多くの写真を撮ったり撮られたりの機会もあり、実際に多く写真が残っています。息子たちが子供の時のアルバムはある程度まで整理しているものの、息子たちが成長してからの写真はそれぞれに任せ、家族の写真に至ってはこのところいつ撮ったのか記憶が無いほどです・・・・!!!!
 
 皆様は、こまめに写真を整理し、アルバムに残されておられるでしょうか!?!? 是非、この際にでも整理されては如何でしょうか!? 私も今一番大切な記録写真を携帯の写真館で作成中というか保存中です!? いつかSDカードに記録するなどして大切に保存したいと考えています・・・・!!!!
 
 さて今日は、旅行の2日目です。朝9時に旅館を出て、最初に輪島朝市の見学に参ります。その後、能登金剛で昼食、午後から近江町市場でお買い物をして、19時頃に帰宅する予定です。
 
 このように後援会旅行中ですが、本日の正午が一般質問の通告の締め切り日でもあります。今期定例会では、
 1.災害廃棄物の広域処理について
 2.個人情報保護と適切な扱いについて
 3.滋賀県看護師確保定着対策について 以上の3点について提出します。
後日、発言の順番についてお知らせしますので宜しくお願いします。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 1953(昭和28)年原子力研究再開への期待を込めて、政・官・産・学の各界で胎動が始まりました。日本学術会議は、同1月に原子力問題検討のための委員会の設置、4月に原子核研究所の設立を決定、電力経済研究所は、原子力発電調査のための新エネルギー研究委員会を6月に設置しました。

 9月に日本放射性同位元素協会(現日本アイソトープ協会)は、医療用Co−60の大量線源を初輸入しました。10月に国産初のCo−60大量遠隔照射装置(東芝製)が国立東京第二病院と大付属病院に設置されました。

 12月には、科学研究所(現理化学研究所)がサイクロトロンによるRIの生産を始めました。海外では、英国及び米国が、相次いで原子力発電所の建設計画を発表しました。
 
 アイゼンハワー米大統領は、この年の12月8日国連総会で「原子力平和利用の提案」(Atoms for Peace)の演説を行いました。これを契機に、各国において原子力の平和利用の検討が始まりました。
 
 さて今日から、後援会の旅行友の会の皆様と北陸方面へ旅行に出かけて参ります。今回で4回目となりますが、今年は和倉温泉2日間です。
 
 本日は、8時頃から各地にご集合頂き、いざ北陸方面へ出かけて参ります。途中各バスの車中にて県政報告を予定しています。 ゆのくにの森にて昼食後、金沢の兼六園を散策し、千里浜をバスで走行する予定です。夕方には、宿に到着をし、今夜は皆様との懇親の場を楽しみにしています。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 カレンダーに関する全国組織の全国団扇扇子カレンダー協議会と全国カレンダー出版協同組合連合会によって、カレンダーのさらなる普及と発展を目指して昭和62年(1987年)に制定されました。
 
 明治5年(1872年)、維新の政府による鎖国時代から維新政府によって開国され、日付は太陰太陽暦が明治5年12月2日で打ち切られ、翌、12月3日が太陽暦の明治6年1月1日となった明治改暦の史実に基づきます。
 
 この改暦により、日本は太陽暦を採用している諸外国との交渉などには、陰暦では不都合が多く太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されたことで、外交上の足並みを揃えられることになりました。今でも、旧暦で言うと等と使われる時がありますが、その名残でしょうしょうか・・・・!?!?
 
 また、一昨日の手帳の日でも取り上げましたが、この時期ともなれば、新年を迎える準備のためにも、関係の企業や団体の皆様より来年のカレンダーをいただく機会が増えてきます。このことでも、行く年を振り返りながら来る年への思いを語る場も数多くなって来るのではないでしょうか・・・・!!!!
 
 さて今日は、9時30分から地元志津地区の平成23年度の慰霊祭が予定されていますので、出席をさせて頂きます。この事業を以て、志津地区社会福祉協議会の今年1年の全ての事業が無事に終了すると、先日同協議会の会長からお話を伺いましたが、今年も後何日と私の周辺でもカウントダウンが始まって来たのではと思います。
 
 本日は、その後、明日からの後援会旅行の準備に追われることになりそうですが、質問の原稿作りもしなければならず、時間を有効的に使わなくてはなりません。
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 栃木県足利市にある厳島神社では2006年12月2日に、御祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の分身として美人弁天を建立されました。

 これを契機に町内で「美人弁天町おこしの会」が発足し、参拝者に心柔らかな品性ある美人であることを証明する日本で唯一の「美人証明」を無料で配布しています。

 心の優しい美人弁天と「美人の国・足利」をアピールしようと「美人弁天町おこしの会」によって記念日が制定されました。日付は建立の日であり美人証明を初めて発行した日とされています・・・・!!!!
 
 このように、それぞれに色々な記念日があり、楽しい、うれしい記念日、悲しく、つらい記念日等さまざまですが、その日は、深く思い考えたいものです。

 今いる自分をゆっくり見直すことで、自然に感謝の気持が湧いてくる気がします。 そこで、12月2日は「美人証明の日」が制定され、今年で7年目を迎えますが、感謝と共に活力を感じます。
 
 健康で、美しく、長命を願いつつ、女性たちの「生きる」をずっとずっと応援しています! 是非ともこの記念日に「美人証明」をもらって新しい気持で進まれては如何でしょうか!?!?
 
 さて今日は、12月定例会の各会派からの代表質問が行われます。我が会派からは、岩佐弘明議員が登壇されることになっています。私は、今回の一般質問の項目が決まりましたので、5日正午の通告締め切りまで原稿作成に努めたいと思います・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!

 師走に入り、手帳を活用して1年を振り返り、新しい手帳を準備する時期であることから、ビジネス手帳の元祖「能率手帳」を製造販売している「株式会社日本能率協会マネジメントセンター」によって制定されました。この日は、書店や文具店などの手帳売り場でのキャンペーンなどが行われます。
 
 この手帳の日は、同センターが日本記念日協会に申請し制定されましたが、センター広報担当の矢野真弓さんは「最近は日記的に使っている方が多く、大判手帳が人気。買い替えするこの時期に一年を振り返り、新たな目標を立てる節目にしてもらえれば」とのコメントが寄せられています。

 ところで、日本人が手帳を使い始めたのは江戸時代に福沢諭吉が幕府の使節団に同行し、パリで購入したのが最初といわれています。その後、明治12年に大蔵省印刷局がフランスの日記簿を参考にした「懐中日記」を発行し、大正11年には、背広のポケットに入る小型の手帳が売り出され、当時の会社員のステータスになったとされています。

 現在の能率手帳のもととなるビジネス手帳が誕生したのは昭和24年。日本初の時間目盛りが振られた手帳として、注目を集めたとされています。 皆様もこの時期来年のためにと手帳を購入されているのではと思いますが、私も「県民手帳」を購入し、来年のご案内を記入するなど新旧2冊を持ち歩いています。
 
 最近では、携帯電話を利用してのスケジュール管理をされておられる方も多いようですが、私自身手帳を利用するようになってからの歴史が長く、新たな行動管理に用いるには今更ながらの感がします・・・・!!!!

 というか、新たな技術取得が困難なのかも知れません。皆様は、どのようにして日々の行動管理をされておられますか!?!?
 
 さて、今日から師走に入りました。今日は今期定例会での質問項目についての検討をしたいと思います。そこで、9時から看護連盟の方に実情についてお話しを伺う予定です。このことを受けて具体的な内容や文章化の作業に取り掛かりたいと思います・・・・!!!!
 
 さぁ、今日も元気に参りましょう! おぅ〜!